● 作家の描いた「特殊潜航艇」(79)
「私は昨年(昭和四十八年)夏、名古屋の海兵連合クラス会の総会に招かれてシドニー湾のスライド映写と講演を行った。
その席に伴の兄の好一氏が来ていたので、しばらく伴の話をした。
伴の艇がクッタブル号を撃沈して湾外に脱出した話をすると、好一氏は非常に興味深げであった。
そして、伴の艇が湾口からほど遠からぬ所に沈んでいるらしいと話を聞くと、
「弟の遺骨を収容したい。いつまでも、そのような所に眠らせておくのは可哀想だ」ということであった。」
「私は昨年(昭和四十八年)夏、名古屋の海兵連合クラス会の総会に招かれてシドニー湾のスライド映写と講演を行った。
その席に伴の兄の好一氏が来ていたので、しばらく伴の話をした。
伴の艇がクッタブル号を撃沈して湾外に脱出した話をすると、好一氏は非常に興味深げであった。
そして、伴の艇が湾口からほど遠からぬ所に沈んでいるらしいと話を聞くと、
「弟の遺骨を収容したい。いつまでも、そのような所に眠らせておくのは可哀想だ」ということであった。」