2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

 ●「続・知られざる日豪関係」(459)

「わたしと映画・南十字星」(9) あらすじ - 南十字星(1982)の続き 翌年、Xフォースと呼ばれるこの特別部隊は、再度、シンガポール攻撃を試みるが、日本軍の迎撃に会い、ペイジ大尉ら十人が捕虜となった。 憲兵隊は捕虜の訊問を始めるが、なかなかはかどら…

 ●「続・知られざる日豪関係」(458)

「わたしと映画・南十字星」(8) あらすじ - 南十字星(1982) 昭和十六年、シンガポールを占領した日本軍は、敵対する中国系住民に対し、大量虐殺や多額の献金を強制するなど苛酷な弾圧政策をとっていた。 そんな日本軍の横暴を、通訳の田宮は心を痛めてい…

 ●「続・知られざる日豪関係」(457)

「わたしと映画・南十字星」(7) 「持丸氏の挨拶の続き」 ところで、この映画の題名「南十字星」は、私自身が南方戦争を転戦していた時の思い出の星なのです。 ”南十字星”とは、美しい響きをもつ言葉です。 私は今、この思い出の星の名前を、第二作に命名…

 ●「続・知られざる日豪関係」(456)

「わたしと映画・南十字星」(6) 「持丸氏の挨拶の続き」 昨今のキナ臭い世界状勢にあって、核や新兵器を増強することだけが、平和を維持し得る唯一の方法だと信じている人々に、「人と人とが国境を越えて絆を深める人間愛こそが、何ものにもまさる平和の…

 ●「続・知られざる日豪関係」(455)

「わたしと映画・南十字星」(5) 「持丸氏の挨拶の続き」 勿論、この映画”南十字星”は、一言でいえば「戦争絶対反対」の映画です。 いつの世にも戦争を始めるのは権力者ぶった一握りの連中達であります。 この人達は戦後は終ったなどと言っていますが、彼…

 ●「続・知られざる日豪関係」(454)

「わたしと映画・南十字星」(4) 保存してあった「パンフレット」から、少し紹介したい。 まず、持丸氏がこの映画に寄せた「挨拶(決意表明?)」をご紹介する。 戦争とその人間像を描く。 製作総指揮 持丸 寛二 弊社第一作"あゝ野麦峠”では大変なるご支援…

 ●「続・知られざる日豪関係」(453)

「わたしと映画・南十字星」(3) 持丸氏との最初の会見で、特に印象に残ったことばがある。 「オーストラリアの『特攻隊』の記録を映画化したいのです・・・」。 2年半のオーストラリア滞在中、この国の「特攻隊」の話など、まったく耳にしたことはなかっ…

 ●「続・知られざる日豪関係」(452)

「わたしと映画・南十字星」(2) 持丸氏は、「オーストラリア大使館に行って、日豪合作映画をつくりたいと話したところ、地元の仙台に『ふさわしい人(わたしのこと)』がいるので、ぜひ訪ねて相談してみるように」と、アドバイスされたという。 当時わた…

 ●「続・知られざる日豪関係」(451)

「わたしと映画・南十字星」(1) 確か、1979年ごろだったと思う(手帳を調べれば正確な日時がわかるのだが、その必要はない?)。 当時、わたしが勤務していた仙台の職場に、きちんとしたスーツ姿の紳士と秘書らしい美し女性が現れた。 突然のことだっ…

 ●「続・知られざる日豪関係」(450)

〜 カウラ事件とは? 〜 「最新のニュース」の続き これは、「戦場では決して捕虜になってはならない」という教えである。 だが、オーストラリアにあるカウラ捕虜収容所での日本兵捕虜の扱いは、「ジュネーブ条約(注:戦争時の捕虜に対する扱いを人道的にす…

 ●「続・知られざる日豪関係」(449)

〜 カウラ事件とは? 〜 「最新のニュース」の続き カウラ事件は、オーストラリアの シドニーの西にあるカウラという小さな街で、1944年8月5日、日本人捕虜が暴動を起こしたものだ。 1104名の捕虜による史上最大の大脱走は、オーストラリアでは誰もが知る有…

 ●「続・知られざる日豪関係」(448)

〜 カウラ事件とは? 〜 「最新のニュース」の続き 事件は日本の教科書には登場せず、脚本家中園ミホさんが伯父の体験談を聞いて執筆した。 日本兵は収容所で丁重に扱われていたが、「捕虜になることは恥」とする教えから、死ぬための脱走計画が持ち上がり、…

 ●「続・知られざる日豪関係」(447)

〜 カウラ事件とは? 〜 「最新のニュース」 大泉洋 、脱走捕虜を全身全霊で演じる 2008.6.17 18:28 第2次大戦中にオーストラリアで起きた日本人捕虜1104人の脱走事件を基にしたドラマ「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった−カウラ捕虜…

 ●「続・知られざる日豪関係」(446)

〜 カウラ事件とは? 〜 「■■捕虜たちの太平洋戦争■■」(ちょっといい話)の続き。 オーストラリアは大勢の犠牲者を出したこれらの事実を忘れてはいない。 キャンベラの豪戦争記念館の壁には戦没者の名前が刻まれている。 「カウラ事件」は連合軍との戦いの…

 ●「続・知られざる日豪関係」(445)

〜 カウラ事件とは? 〜 「■■捕虜たちの太平洋戦争■■」(ちょっといい話)の続き。 日本では、太平洋戦争は日米間の戦いで、日豪間でも争ったという認識は薄い。 しかしオーストラリアは連合軍の一員として参戦し、 日本軍はダーウィン空襲、特殊潜航艇によ…

 ●「続・知られざる日豪関係」(444)

〜 カウラ事件とは? 〜 「カウラ事件」について、興味あるこんな記述が見つかった。 2007/2/1 「■■捕虜たちの太平洋戦争■■」(ちょっといい話) オーストラリア・シドニーの西にある人口約一万二五〇〇人の町カウラは、太平洋戦争が終わる一年前、この町に…

 ●「続・知られざる日豪関係」(443)

〜 カウラ事件とは? 〜 「カウラ事件のその後」 5日午前1時50分(日本時間同零時50分)には脱走開始時間を告げるサイレン。 同日午前には日本人戦没者墓地で「和解の礼拝」などが行われる。 元捕虜は高原さんと鳥取県日南町の山田雅美さん(85)、…

 ●「続・知られざる日豪関係」(442)

〜 カウラ事件とは? 〜 「カウラ事件のその後」については、こんなことも伝えられている。 集団脱走から60年、平和祈り 元日本兵らが「和解の礼拝」 豪カウラ (2004年08月05日掲載) 【カウラ(オーストラリア)4日共同】 太平洋戦争中の1944年、オ…

 ●「続・知られざる日豪関係」(441)

〜 カウラ事件とは? 〜 参考文献 • ハリー・ゴードン 著 山田真美 訳 『生きて虜囚の辱めを受けず カウラ第十二戦争捕虜収容所からの脱走』 清流出版、 1995年。 • 山田真美 『ロスト・オフィサー』 スパイス (出版社)、 2005年。 • "初めて戦争を知った - …

 ●「続・知られざる日豪関係」(440)

〜 カウラ事件とは? 〜 「関連項目」の続き 企業としては、ニッサンが取材車を提供して長期取材に協力した。 なお、高橋監督夫妻は、1979年、当時の皇太子明仁親王・同妃美智子に招かれ四人で懇談したが、その際の話題の一つが、この事件であった。 高橋取…

 ●「続・知られざる日豪関係」(439)

〜 カウラ事件とは? 〜 「関連項目」の続き 事件の戦死者(オーストラリア警備隊による機関銃掃射)が、広島師団出身者であることから、広島の地酒を持参して墓に注ぎ、慟哭、撮影に苦慮した。 墓地は映画として記録され海外広報に使われた。 高橋夫妻は、…

 ●「続・知られざる日豪関係」(438)

〜 カウラ事件とは? 〜 「関連項目」の続き • 1995年10月8日、直江津・平和記念公園開設 • 上越日豪協会 "私は貝になりたい" 加藤哲太郎 - 当時 直江津捕虜収容所 と同じ新潟市にあった東京俘虜収容所第五分所長の所長であり、最大規模の戦犯裁判であった。…

 ●「続・知られざる日豪関係」(437)

〜 カウラ事件とは? 〜 関連項目 新潟県上越市 直江津捕虜収容所(正式名称:東京俘虜収容所第四分所)に収容されていたオーストラリア人捕虜300名のうち60名が、1942年12月から翌年の3月まで続いた大寒波が原因で肺炎などを起こし病死した。 戦後、収容所…

 ●「続・知られざる日豪関係」(436)

〜 カウラ事件とは? 〜 オーストラリア政府の反応 オーストラリア政府は、カウラ事件を極秘情報として公にはしなかった。 事件当時は戦時中であり、日本政府に日本兵捕虜の多数の死を知られた場合、日本によるオーストラリア兵捕虜への危険の可能性を考慮し…

 ●「続・知られざる日豪関係」(435)

〜 カウラ事件とは? 〜 「脱走」の続き 当時警備兵の証言: "日本人は何を考えているのか分からなかった。 野球、相撲などのレクリエーションの自由もあったし、日本人は魚を食べるので、(オーストラリア人とは別に、特別に)魚を食事で支給されていた。 …

 ●「続・知られざる日豪関係」(434)

〜 カウラ事件とは? 〜 「脱走」の続き At about 2 a.m. a Japanese ran to the camp gates and shouted what seemed to be a warning to the sentries. Then a Japanese bugle sounded. A sentry fired a warning shot. More sentries fired as three mobs…

 ●「続・知られざる日豪関係」(433)

〜 カウラ事件とは? 〜 脱走 1944年8月5日(午前2時過ぎ程からの深夜帯)、日本兵1104名は集団脱走を決行した。 脱走時、携帯する事の出来た武器と言ったものは身近にあるフォーク・ナイフなどの金属製品、野球バットといったものに過ぎず、機関銃が配備さ…

 ●「続・知られざる日豪関係」(432)

〜 カウラ事件とは? 〜 契機 1944年8月第1週、カウラの収容人数が大幅に定員オーバーした為に、将校・下士官を除く兵士を、400km西に位置するヘー(Hay, ニューサウスウェールズ州)の捕虜収容所に移すことを計画し、8月4日、ジュネーヴ条約の規定に基づいて…

 ●「続・知られざる日豪関係」(431)

〜 カウラ事件とは? 〜 捕虜の生活 作業 • 農業:トマト、ブドウの栽培、薪の為の伐採 レクリエーション 警備は緩く、オーストラリア軍は負傷者、栄養失調者などを含む捕虜に手厚く看護・介護、日本人は文化的スポーツであった野球、相撲、麻雀などのリクリ…

 ●「続・知られざる日豪関係」(437)

〜 カウラ事件とは? 〜 関連項目 新潟県上越市 直江津捕虜収容所(正式名称:東京俘虜収容所第四分所)に収容されていたオーストラリア人捕虜300名のうち60名が、1942年12月から翌年の3月まで続いた大寒波が原因で肺炎などを起こし病死した。 戦後、収容所…