2005-08-01から1ヶ月間の記事一覧

  サ−ビスへの気遣い(4)

その夜、ホテル内のレストランに食事に行くと、経営者は息子をつかまえてこう言った。 「おかげさまで、今朝はずいぶん助かったよ。また、明日の朝も手伝ってもらえるかい?」 こうして、ゴ−ルド・コ−ストに滞在中、息子は日中退屈すると、エレベ−タ−・ボ−イ…

  サ−ビスへの気遣い(3)

ゴ−ルド・コ−ストには、一週間滞在した。朝寝坊の大人と違って、子どもは早起きだ。息子はラジオを聞いたリテレビを見たりしながらも、退屈な時間を持て余していたらしい。 15階建てのホテルの一室は、オ−ストラリア・サイズの2LDK。子どもが遊ぶには、十…

  サ−ビスへの気遣い(2)

ガイド役を兼ねている船長が、別荘の一軒一軒について、その持ち主や価格、特徴などを懇切ていねいに説明する。船のスピ−ドは落としているものの、かなり長い説明が一軒一軒の敷地内でピタリと納まるのだから、別荘がいかに広大なものであるかご想像できると…

  サ−ビスへの気遣い(1)

クインズランド州にある世界的に有名な保養地ゴ−ルド・コ−ストを訪れた。ここには、高級レストランやクラブなどのひしめくオ−ストラリアには珍しい歓楽街?がある。 だが、ここの“売り”は、「すばらしい海岸線と入り組んだ人工の水路が織りなす美しい風景」…

  「サ−ビス精神」のさらに続き

よく言われるように、アメリカの航空会社のスチュワ−デスは、乗客のシ−ト・ベルトの点検一つにしても、「きわめて無表情で、事務的(いや、冷静?)な」態度を取る。これに対して、オ−ストラリアの国営航空のスチュワ−デスは、笑顔で優しく接してくれる。そ…

  「サ−ビス精神」の続きの続き

これは、国際線での話だ。シドニ−から香港へ向かう途中、私はいつものように一杯引っかけて眠り込んでしまった。 気がつくと、隣の席にいるはずの息子がいない。とは言っても、航空機の中。しかも、彼は7歳だし、英語は私よりもはるかに達者だ。「心配する…

  「サ−ビス精神」の続き

首都キャンベラに旅行しようと、旅行代理店を訪ねた。応対した係員は、飛行機の出発時刻を調べながら、「キャンベラは夜景がすばらしいので、日が暮れてから到着する便に乗った方がいいですよ」と、アドバイスしてくれた。 人工都市・キャンベラ。ワシントン…

  サ−ビス精神

オ−ストラリア人が、いつも「ジョ−クを言い合っている」のを見ていると、私は彼らの中に“ゆとり”があるからだと感じない訳にはいかなかった。 「ジョ−クを言って、みんなを笑わせてやろう」と思いつくのも、精神的にゆとりがあるからだろう。つまり、「他人…

  「ジョ−ク」のさらに続き  

銀行強盗を装った二人の若者の場合は、「冗談のやり過ぎ」と言えるが、逆に「冗談と受け取り過ぎた」例もある。「人がいい」、あるいは「おおらか」と言うのか、犯人たちはそういうオ−スとラリア人気質を十分計算したうえで、白昼堂々6、000ドルもの大金…

  「ジョ−ク」の続きの続き  

いくらジョ−クでも、ここまでやるとちょっと度が過ぎるのでは?と思える事件があった。 「21歳と19歳の若者のうちの一人が、預金を下ろしに市内の目抜き通りにある銀行に行った。途中で、どちらからともなく、『銀行強盗の真似をしたら、さぞかし銀行中…

  「ジョ−ク」の続き  

「『それはすばらしい鉄砲じゃないか!』アルバ−トさんはこう叫んだ」。 1971年5月28日、 メルボルンの新聞「ジ・エイジ」は、こういう見出しで、アルバ−トさんの写真入りの記事を載せた。 「昨日の午後、メルボルン大学の売店で強盗を働こうとした二…

  ジョ−ク  

オ−ストラリア人は、ユ−モア好きの国民だ。いつ、どこででも、人が集まるところではお喋りが聞かれ、笑いがあふれている。険しい目つきをした人をこの国で見つけるのは難しい。生まれついての楽天家ぞろいなのか、あるいは与えられた人生・限られた人生を精…

  「生きているその精神」の続き  

移住してきたカップルのこの発言について、私の友人の一人は次のように“解説”してくれた。 「たとえ、たまたまエレベ−タ−に乗り合わせたに過ぎなくても、ジ−ッと黙っているのは大変失礼に当たるんだ。だから、ほんのわずかな時間でも何か喋らなければならな…

  生きているその精神  

もともとメイト・シップは、奥地を開拓した牧畜業者や農民たちの間に生まれたものだ。だから、人口の四分の三が都会に住み、ホワイト・カラ−層が増えた現在では、一部の人々を除いてその言葉自体「現実味を失い、もはや伝説に過ぎなくなった」と言う人もいる…

  「メイト・シップ」のさらに続き

オ−ストラリアの開拓時代、臨時の仕事や季節労働をしながら牧場を渡り歩く人々がいた。身の回りの品を丸くて細長い「スワッグ」に包んで肩に担いでいたので、「スワッグ・マン」と呼ばれていた。ひげ面でつぎはぎだらけのヨレヨレの服を着て、手に下げるブリ…

  「メイト・シップ」の続きの続き

1880年11月11日午前10時、「人生なんてこんなものさ」という言葉を残して、一人の若者が短い人生を駆け抜けて行った。メルボルン刑務所で、絞首台の露と消えたネッド・ケリ−という25歳のギャングである。 彼を首領とするギャング団は、ウ゛ィク…

  「メイト・シップ」の続き

「メイト・シップ」。オ−ストラリアの男たちが、よく口にする言葉である。“相棒精神”、あるいは“仲間意識”とでも言ったらいいのだろう。 メイト・シップは、開拓時代、厳しい自然環境に立ち向かって生き抜いた男たちの間に生まれた言葉だ。未開の地にやって…

  メイト・シップ

体験談を書く」という私の趣旨には反するが、これについてはどうしても触れておかなければならない。 オ−ストラリア生まれの作家で評論家でもあるC・マグレイガ−は、その著書「オ−ストラリアのプロフィ−ル」の中で、オ−ストラリア独特の「メイト・シップ(マ…

  「学園祭で」の続きの続き

父親たちが狙いを定めたキャンティ−ンは、生徒に「昼食を提供するところ」でもある。業者がここに食べ物を納入し、母親たちが交代で教室に届ける。その中身は、ホット・ドッグやミ−ト・パイなど。これらは有料だが、昼食時ともう一度配られる牛乳(とてつも…

  「学園祭で」の続き

学園祭当日は、すばらしい天気に恵まれた。この日の主役は、日本のPTAに当たるマザ−ズ・クラブの母親ではなく、「父親たち」だった。 学園祭にやってくる人々は、早くも夏の服装だ。裏方を務める私たち父親の「ふだん着姿」とは対照的に、みんな盛装している…

  学園祭で

1972年11月4日の土曜日に、私の息子が通う小学校で「学園祭」が開かれた。創立50周年を祝うこの年の学園祭は、例年に比べるとはるかに盛大なものとなった。 学園祭の一番の目的は、完成したばかりの学校の図書室に本を贈る資金を集めることにあった…

  ● ホット・ミ−ル・サ−ビス  

同じフラットの一階に、独り住まいの上品なおばあさんがいた。かなりの高齢で, 足を引きずるようにして歩く。そのせいか、彼女はどうしても家の中に引きこもることが多い。 そんな彼女のところに、毎週水曜日、派出婦さんが部屋の掃除にやってくる。ほかの日…

  ● 何もかも「あべこべ」のさらに続き

オ−ストラリアの女性のすべてが、「奉仕活動」をしている訳ではない。 労働力の足りないお国柄もあって、外に働きに出る主婦も多い。しかも、その職種たるや実にさまざまで、日本なら(30年前の話)男性の職場である放送局の技術部門にも進出して、男性顔…

  何もかも「あべこべ」の続きの続き

オ−ストラリアでは何でも亭主がやってしまうので、「女房どもは時間を持て余しているのではないか」と思われるかもしれない。 だが、現実はまったく異なる。彼女たちは、家事一切を夫に任せてのんびりとテレビを見たり、昼寝を楽しんだりしている訳ではない…

  何もかも「あべこべ」の続き

こんな光景にいちいち腹を立てていたら、日本人の男性はとてもオ−ストラリアに住めないだろう。こんなことは日常茶飯事で、「いつ、どこででも」見られる。 いかなる場合でもふんぞり返っているのはカミさんで、かいがいしくこまめに働くのは亭主なのだ。 あ…

  何もかも「あべこべ」

「雨が降りそうですね」 「そうですね」 彼女は無表情で答えた。同じフラットに住む若い奥さんである。メルボルンでは、夏場の一時期を除くと、本当によく雨が降る。私は、重ねて彼女に言った。 「天気予報では、大雨になるそうですよ」 「そうですか・・・…

  「ある日の公園で・・・」の続きの続き

母親が活字から目を離したのは、ほんの一瞬だけ。泣きじゃくるわが子をチラッと見た。そして、おもむろにタバコの灰を落として、何事もなかったかのように再び新聞を読み始めた。子どものところにすっとんできたのは、父親だった。わが子を抱き上げ「よしよ…

  「ある日の公園で・・・」の続き

私の家の隣にある公園に子連れでやって来た若いカップルの母親は、日本なら一週間分にも相当する分厚い新聞を丹念に読み始めた。それも、タバコをくゆらせながら・・・。 一方、父親はというと、母親とは正反対にてんてこまいの忙しさ。3人の子どもをかわる…

  ある日の公園で・・・

ある土曜日のこと、家の隣にある公園を我が家のダイニング・キッチンから眺めていた。 ダリアやバラ、ゼラニュ−ム、パンジ−など、色とりどりの花が咲いている。ひときわ背の高いパ−ム・ツリ−やみずみずしい白い肌の輝く樹齢何十年というガム・ツリ−が鮮明な…

  18歳までは幸せだった?(5)

幼いときから“台所に立つ”父親の後ろ姿を見ていれば、私たち日本人が考えるほど、この国の男性にとって「家事」は苦にならないのかもしれない。 我が家で家族を交えたパ−ティ−を開くとき、女房の手伝いをしてくれたのは女の子ではなく、決まって「オ−ストラ…