2005-07-01から1ヶ月間の記事一覧

  18歳までは幸せだった?(3)

飲み続け喋り続けてふと時計をみると、午前2時を過ぎていた。私は5時間、ほかの客は8時間もぶっ通しで飲んでいたことになる(急な用事と男だけのパ−ティ−への戸惑い、そして親友から聞かされた「パ−ティ−は夜通し続くよ」のひと言で、「遠慮なく遅れて参…

  18歳までは幸せだった?(2)

子どもたちが夏休みなので、家族みんなで別荘で過ごしていた親友は前夜帰宅し、直ちに“男だけのパ−ティ−”の準備を始めた。あらかじめ買っておいた食材を使って料理に取りかかる。同時に、飲み物の用意やラウンジ・ル−ムのセッティングなど、お客を迎えるため…

  18歳までは幸せだった?(1)

(初期のまとめ)1971年から2年あまり、オ−ストラリアに住んだ。30年以上も前のことである。 転勤の挨拶に行ったときのおじの言葉を思い出す。 「南方に行くんだって?ご苦労なことだね」。 戦争体験者のおじには、オ−ストラリアは「ジャングルの延長…

 「夕霧の丘」のさらに続き

「オ−ストラリアン・ハズバンドというのは、自分の家族だけでなく、他人の家族の面倒もみなければならない」のか?。「オ−ストラリアン・ハズバンドは、いつ、いかなる場合でもオ−ストラリアン・ハズバンドであり続けなければならない」ということか!。 私…

 「夕霧の丘」の続きの続き

別荘には、すでに4台の車が止まっており、私たちが一番遅く着いたことになる。いつものように合図のクラクションを鳴らすと、親友の家族を始め、この日招待されていた客のみんなが私たちに手を振っている。 いつもなら、親友の家族がそろって渓流に架かる橋…

 「夕霧の丘」の続き

親友の別荘で過ごした一日はとても楽しかった。例によって、半頭分のラムを始め、牛肉やソ−セ−ジなどを焼き上げるのに男性軍が大活躍したのは言うまでもない。 ここで、私が「大恥をかいたこと」について詳しく説明する。 彼の別荘に着いたときの話しだ。前…

 「夕霧の丘」

メルボルンの東65キロのところに、ウォバトンという保養地がある。「パラダイス・ウ゛ァレ−」とも呼ばれる盆地に造られた町だ。肥沃な土地に恵まれて、特にいちごの産地として知られている。 メルボルン市内を流れるヤラ川の水は褐色だが、上流のこの付近…

 「豪に入っては豪に従う」の続き

私は大いに焦って、思いつくままにこう言った。 「いつか、あなたが日本に来られる機会があるかもしれません。でも、あなたは日本の習慣に従う必要などありません。あなたのご主人に荷物を全部持たせて手ぶらで歩いておられても「オ−ストラリアの女性は野蛮…

  豪に入っては豪に従う

「そうでしょうか。仮に、私の行為が他人に迷惑をかけたり、オ−ストラリア社会の秩序を乱したりするものなら、私はあなたのおっしゃる通りにしますが、どう考えても、そんなことはないと信じます」私は反論した。 「社会秩序」などという、ふだん使い慣れて…

 「オ−ストラリアン・ハズバンド」への悲しい第一歩

それは、突然やってきた。彼らの仲間入りをする“記念の日”が・・・。 運命を決めたのは、道で偶然出会った“可愛いおばあちゃん”だった。それは、何気ない会話から始まった。 「こんにちは。いいお天気ですね」 「ごきげんいかがですか」 「おかげさまで元気…

 オ−ストラリアン・ハズバンド

「家事や育児など家庭内にかかわる仕事のすべてを手際よくこなし、それでいて、なぜか女房に頭の上がらない男ども・・・」(私の独断と偏見?)。 オ−ストラリアン・ハズバンドの存在は、世界中に広く知られている。 私が実際に出会った「オ−ストラリアン・…

 「ク−ルチェンジ」の続き

● 「ク−ルチェンジ」の続き オ−ストラリア大陸は、北部の三分の一が熱帯に属している。だから、この地方は一年中暑い。日本の夏の服装でも平気だ。 だが、オ−ストラリアは大きな陸地だ。最も暑い月の平均気温は、シドニ−では22度余りで湿度72%、メルボ…

  ク−ルチェンジ

私の家の前は、小学校への通学路になっていた。毎朝、子どもたちが元気に登校する姿を見るのは楽しい。低学年の子どもは、どことなくおどおどした感じで道の端を歩く。これに対して、高学年の子は友だちと道いっぱいに広がって「わが者顔」で歩いている。真…

 「真夏]の夜

メルボルンを語るとき、「天気」について触れておかなければならない。ロンドンには「一日に四季がある」と言われるが、メルボルンも同じで、日ごとに四季がある。 クリスマスを間近に控え、近くの公園でチャリティ−のキャンドル・サ−ビスが行われた。 オ−ス…

  その事件とは・・・

● その事件とは? シドニ−のあるパブの主人が、親切心から、「うちには女性用のトイレがないので・・・」と、訪れた女性客を丁重に断った。シドニ−と言っても、郊外にある小さなパブのこ。しかも、長い間男性しか入れない場所だった。女気がまったくなかった…

  「パブと女性」の続き

現在では女性も気軽に入れるパブだが、以前はそうではなかった。これには、“聞くも涙、語るも涙”の物語りがある。 この国の男性たちは、オ−ストラリアン・ハズバンド、つまり「女性に頭が上がらないこと」で知られている。どういう訳か、オ−ストラリアでは女…

  パブと女性 

ミニスカ−トから、すんなりと伸びたきれいな脚。思いっきり短いミニだ。パブに入ってきたその若いOLらしき娘さんは、コップ片手にダベリまくっている男性たちをかき分けるようにしてカウンタ−に行き、チケットを買い求めた。 昼食を取るのだろう。テ−ブル席…

  「パブ」のさらに続き  

パブに入って驚くのは、耳をつんざくような人の声だ。特に、夕方はものすごい。「ウォ−ン」と、パブの建物全体を揺るがすように反響する。こんな騒音の中でお喋りをするのだから、“会話を楽しむ”ことなど、とても無理だ。いきおい、みんなが大声で話す。 と…

  「パブ」の続きの続き  

パブは、以前は夕方の6時までしか営業していなかった。だから、勤めが終わる午後5時前後からサラリ−マンたちが一気に押し寄せ、「蜂の巣をつついたよう」な状態になる。 パブで一杯ひっかけた人々が、閉店時間の6時になると一斉にハンドルを握って家路を…

  「パブ」の続き

オ−ストラリアのパブは、イギリスとは違って独特の発展をしてきたようだ。 建築学的にみても興味深い。オ−ストラリアでは、時代の最先端を行く建物はパブだった。メルボルンの郊外にある金鉱で有名なバララットの町には、ゴ−ルドラッシュ華やかなりしころ、…

  オ−ストラリアのパブ 

そろそろ梅雨明けも間近。ビ−ルのおいしい季節がやってくる。 そういえば、オ−ストラリアの人々が一番好んで飲んでいたのはビ−ルだった。 次いで、ワイン。オ−ストラリアには、おいしいワインを製造するワイナリ−がたくさんある。逆に、ウイスキ−を飲む人は…

  無血の決闘

オ−ストラリア人はユ−モア好きな国民だ。いつでもどこででも、人が集まりお喋りしているところでは、笑いがあふれている。けわしい目つきをした人をこの国で見つけようとするのは難しい。生まれついての楽天家揃いなのか。あるいは、与えられた人生を精一杯…

  「お喋り」の続き

腰を傷めてから、もう20年以上もゴルフをしたことがない。だから、バブル以降の日本のゴルフ場がどうなっているかはさっぱり分からない。だが、一時期、日本では、ゴルフ場が「混雑の代名詞」になっていた時代があった。 そのころ、オ−ストラリアのゴルフ…

  お喋り大好き  

私が住んでいたフラットに、週に一度掃除に来るおばさんがいた。 彼女が来るとすぐ分かる。フラットの住人をつかまえては大声で話しかけるからだ。 たとえ掃除の最中でも、誰かと顔を合わせると仕事の手を休めて話し込む。そして、かんじんの掃除を忘れてお…

  オ−ストラリア人気質  

先日、調べ物があって、オ−ストラリアのある政府機関を訪れた。そこで借りた本を帰りの電車の中で読んでいるうちに、私は思わぬところで“オ−ストラリア”に再会し、すっかりうれしくなってしまった。 車内がかなり混んでいたため片手で本を支えていたのだが、…

   かって四つの国歌を合唱した人々 

オ−ストラリアに住んで最初に戸惑ったのは、人口密度の低さでも、鮮やかな空の青さや恐怖を感じるほど多い星の数でもなかった。それは、人々の「のんびりとした生活ぶり」だった。 複数の国歌をもつ国は決して珍しくないが、ある時期オ−ストラリアには国歌が…

  南風が冷たい

オ−ストラリアを一言で言えば、「壮大なる田舎」「日本とは万事に対照的な国」と言えるだろう。赤道をはさんで、南と北、オ−ストラリアの国土の面積は、日本の21倍、人口密度1キロ平方メ−トル当たり2人以下、(日本は280人)。 季節は逆で、日本の冬…

  あべこべの国

1971年から2年あまり、オ−ストラリアに住んだ。30年以上も前のことである。 転勤の挨拶に行ったときのおじの言葉を思い出す。 「南方に行くんだって?ご苦労なことだね」。 戦争体験者のおじには、オ−ストラリアは「ジャングルの延長線上の国」とでも…