2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(55)

「私の記憶に間違いがなければ、日本海軍は明治三十七年の軍神広瀬中佐より、三十七年目に軍神を持ったことになる。 手元の読売新聞昭和十七年三月七日付復刻版には、当時のムードが現れているから、抜粋してみよう。 「みだし」 軍神″特別攻撃隊″九勇士。 …

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(54)

「私の記憶では、特潜の戦果は、航空部隊の戦果に続いて公表され、とくに夜間、戦艦アリゾナが爆発したのは、特潜の大戦果と喧伝されたように思う。 しかし、今回、新聞の復刻版を繰ってみると、 「我方未だ帰還せざる特殊潜航艇五隻」として、その行動がく…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(53)

「日本海海戦で大捷を博した元帥・東郷平八郎が、私の憧れの対象であった。 艦隊をひきいて敵と決戦するのが私の夢であったが、海軍兵学校を卒業する頃から、飛行機の操縦を志願するようになった。 私が考えていたよりも日米の開戦は早く、私は艦隊をひきい…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(52)

「『今朝未明、空母を中心とする日本の機動部隊は、真珠湾の米太平洋艦隊を攻撃、日本は米英と交戦状態に入った。 諸君の先輩は太平洋の各地で勇戦している。 一刻も早く、飛行学生の訓練課程を卒業し、前線でご奉公出来るように、努力して欲しい』 と、指令…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(51)

豊田さんは、「特殊潜航艇と私── あとがきにかえて ──」でも、「オーストラリア」について触れておられる。 関連分を、ぜひ紹介したい。 「 一、特潜攻撃と当時の新聞 昭和十六年十二月八日、太平洋戦争が勃発した日、私は海軍少尉で、茨城県の霞ヶ浦航空隊…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(50)

わたしは、常々「観光客」と「滞在者」とでは、「その国に抱く印象が根本的に違ってくる」。 「実際に住んでみなければ、その国を本当に理解することはできない」と、言い続けてきた。 だが、「戦争記念博物館」に関しては、豊田さんの方が「滞在者」で、私…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(49)

冒頭でも紹介したように、「第2次世界大戦」については、数え切れないほどたくさんの本が書かれている。 中でも、豊田穣さんの「月明の湾口(シドニーの岸壁)」を読んだときには、大変感銘を受けた。 そこには、わたしの知らない「オーストラリア」が描か…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(48)

「雲が流れ、巻き雲に似た雲が、半球型のドームの上にかかった。 白く清潔な雲であった。 シドニーで死んだ搭乗員たちがそこにいる、と私は考えていた。 彼らはいま、白雲に化して空を流れている。 白雲に化した彼らは、地上に醜く生き残った私をはるかな上…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(47)

「日本のように、有毒ガスや煙に汚染された空ではなく、そこには正に、まじりけのない空そのものがあった。 丸いドームの上にかかる蒼穹を仰ぎながら、私は考えていた。 ─── 人間は美しく死ぬか、醜く生き残るかである ─── どこかでそのような声が聞こえた。…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(46)

「私はさらに後退した。 二つの部分を並べた艇の後方に戦争記念博物館の建物が見え、やがて丸いドームの屋根が見え始めた。 ドームの頂上は高く、その上にコバルトブルーの空がかかっていた。 キャンベラの三月は日本が九月に相当するであろうか。 初秋とい…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(45)

「A中佐は、引き揚げられた中馬艇の内部について、特に語ってはくれなかった。 しかし、これだけの爆薬を爆発させるならば、搭乗員の体にはかなりの損傷があったのではなかろうか。 私は、前を向いたままの姿勢で、後じさりして行った。 松尾艇の前部には、…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(44)

「子供が切断面を指さしながら、何事かを尋ねていた。 あの攻撃から三十一年たった今日、あのような果敢な攻撃があった事を聞かされたオーストラリアの子供たちは、何を考えるのであろう。 私はなおも、艇の全体を凝視し続けた。 ジグザグの切断面を持つ中馬…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(43)

「松尾艇の方は、あとから切断したものと見えて、切断面はきれいであった。 私は少し後退して、二つの切断面を眺めた。 左の中馬艇はジグザグで、右の松尾艇のはスムーズである。 オーストラリア人らしい見学客が来て、二つの切断面の間に立って、ジグザグに…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(42)

「艇は艇首から三分の一の所で、二つに分かれていた。 前部が松尾艇、後部が中馬艇である。 二艇の部分を合せて、一艇としてある。 後部の中馬艇の切断部は、かなり破損が目立った。 平たく言えば、くしゃくしゃになっていたのである。 これが自爆装置によっ…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(41)

「私はアンザック・パークの向うに、国会議事堂を眺めた後、館の西側に向った。 特潜は館から十メートル以上はなれたところに、館の本館と並行して、頭部を南西に向けて展示してあった。 黒いペンキで真っ黒に塗ってあり、高原の陽光を浴びて輝いているよう…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(40)

「戦争記念館はシティの東にある丘の上にあった。 大きなドームを中心とした灰白色の建物で、東京にある神宮絵画館に感じが似ている。 館は南西を向いており、正面にはきれいに手入れの行き届いたアンザック・パークという細長い公園があり、それを南西に真…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(39)

「この前年、ブラジルの新首都ブラジリアを訪れたことのある私にとって、幾何学的都市の先輩であるキャンベラは非常に興味があった。(中略) 歴史の古いキャンベラは、ほとんどが緑に蔽われている。 また、キャンベラは、曲線を活用した設計で、エレガント…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(38)

(注:広い国土の大半が広大な平原であるオーストラリアで、唯一東海岸を南北に走るのが「大分嶺山脈」。これに続くのが、オーストラリアで一番高い標高2・230メートルの「Mt・KOSCIUSKO」などのある「オーストラリア・アルプス」。ここは、「スキー・リ…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(37)

「シドニーに着いて三日目、すなわち三月五日朝、私はオーストラリア連邦の首都キャンベラを訪れることにした。 キャンベラの戦争記念館に、シドニーで引き揚げられた特潜が展示されてあると聞いたからである。 午前十時、シドニー空港発の飛行機で、私はキ…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(36)

「そういうと、彼らは大声でキャンベラ号の歌をうたってくれた。 狭いホテルの部屋で、大声をはりあげて軍歌をうたう彼らの熱っぽい表情を眺めながら、私は昼間見た、伴勝久が破壊した岸壁を想い浮かべていた。 あの岸壁は静かだった。 それにくらべて、生き…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(35)

「『あの攻撃をどう思うか』 『いや、勇敢なもんだよ。 だが、 何しろ、肝っ玉がつぶれたよ』 彼はそう語った後、 『おれはその後八月九日に、ガダルカナルでまた泳いだ。 キャンベラは日本海軍と激戦の末、沈められたんだ。 そのときはこの二人も一緒に泳い…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(34)

「『おれはあの晩、クッタブルに寝ていた。 十二時か一時ごろだと思う。 ドカーンという爆発音がして、船が沈み始めた。 おれは、下甲板にいたので、すぐ水びたしになった。 破孔の近くにいたやつは負傷した奴もいたし、死んだ奴もいる。 おれは水のなかをハ…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(33)

「私は中佐の行為に謝意を表して艇をおりた。 その日の夕方、六時ごろ、ラッズ水平長からホテル・キャンベラ・オリエンタルの私の部屋に電話があった。 ひどく太い声で、オーストラリア訛が強かった。 ラッズ水平長は、仲間二人をつれて私の部屋にやって来た…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(32)

「私は考えた。そうしてみると、伴は、三十一年間、こうして、全身を波に洗わせていたのだ。 私は深い感慨をもって、この壊れた岸壁と、それを洗うシドニー湾の水とをみつめていた。 陸へ揚がると、中佐は言った。 『先日、旧海軍兵士の会合があった。 私は…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(31)

「私は、中佐に訊いた。 『どうして、修理しないのか。 記念のために壊されたままの形で保存してあるのか』 中佐は答えた。 『なぜ修理しないのか、私にはわからない。 しかし、記念のためでもない 。 私の記憶によれば、この岸壁は、あの夜雷撃によって破壊…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(30)

「大きな石をコンクリートで接着させ、塗り固めた、ありふれた岸壁である。 高さ二メートルに近いその岸壁は、十個位の大きな破片と、無数の小片とに分散して、今なお波に洗われていた。 私は、その破壊された岸壁に伴勝久の肌を感じていた。 ─── 伴、貴様、…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(29)

オーストラリア海軍は、六月九日、松尾大尉ら4人の海軍葬を行っているが、豊田さんによると、A中佐は、この葬儀を、「Naval funeral with full honour(海軍最高栄誉葬)」と表現したという。 「彼(A中佐)はそう語った後、私に、 『バンの艇が破壊した岸…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(28)

再び、豊田さんの文章に戻る。 その前に、わたしが「感銘 を受けた場面」を紹介したい。 それは、豊田さんがA中佐にインタビューしたときのことだ。 豊田さんは、こう描いている。 「『貴君たちはこの攻撃をどう考えているか』 と訊いてみた。 A中佐が答えた…