2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

 ●「続・知らざる日豪関係」(32)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「カウラ暴動事件の、生き残りの一人である元陸軍曹長森木勝氏は、著書『カウラ出撃』の中で、南忠男のことをこう書いている。 『真っ先に進軍ラッパを吹き鳴らしながら突進…

 ●「続・知らざる日豪関係」(31)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「しかし、本当にそうだったのだろうか。 そこに千分の一でも万分の一でもよい、生きのびようとする、『生への執着』はなかったのだろうか。 たとえ虜囚の身となろうとも、生…

 ●「続・知らざる日豪関係」(30)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「元軍人たち、あるいは戦争経験者たちは、われわれの知らぬ『経験』を盾に取って、『戦争とはそういうものなのだ』とやり込めてくるだろう。 歴史の本で読んだことのある『…

 ●「続・知らざる日豪関係」(29)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「だがいずれも、読み終わるたびに苛立ちを覚え、結果的にはパブで聞かされたあの老人の言葉と大同小異でしかない、と思った。 したり顔をして事件の説明をする外人ジャーナ…

 ●「続・知らざる日豪関係」(28)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「『死とは単に現世から次の世への旅にすぎぬと信じていたのだ。 したがって戦場で死ねなかったかれらは、その身を恥じて、結果としてあの暴動による集団自決を選んだのだ』 …

 ●「続・知らざる日豪関係」(27)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「そうした中で、ある老人は、私の眼を見据えながらこういった。 『君らの世代には、あの事件は理解できぬことかもしれない。 いや、理解しろというほうが無理だろう。 あの…

 ●「続・知らざる日豪関係」(26)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「この静かで退屈な、そして平凡な町カウラが、ある日突然、町とはなんのつながりもない日本兵捕虜という狂気の集団により、その名をオーストラリア国内に知られるようになっ…

 ●「続・知らざる日豪関係」(25)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「その結果、ある者は銃弾に倒れ、ある者は自らの生命を絶ち、合計二百三十四名の死亡者と、百八名の重傷者を出した。 戦場から遠く離れ、死の危険など微塵もない、否あって…

 ●「続・知らざる日豪関係」(24)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「舞台が捕虜収容所という、影の部分だったからか、戦史にも出ておらず、したがって日本ではほとんど知られていない、少なくとも戦後派の耳には届かぬ事件だった。 太平洋戦…

 ●「続・知らざる日豪関係」(23)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「一九七八年のはじめ、オーストラリアン・アボリジニー、いわゆるオーストラリア原住民と、これに関連した日本人移民を調査する目的でオーストラリアへ渡りシドニーに居を構…

 ●「続・知らざる日豪関係」(22)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「『ああ、いーつもフェンスの向うの飛行場ばっかり見とってなあ。 ヘイでも逃げよう思うとったんやろな。 そんときや、わしも誘われたんは。 しかしなあ、わしらなんか逃げ…

 ●「続・知らざる日豪関係」(21)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「アンザイは椅子から立ち上がると、胸を張り肩を怒らせて、南の歩く真似までして見せた。 『あいつは将校やったんやないか。 ようイングリッシュのニューズ・ペーパー読んど…

 ●「続・知らざる日豪関係」(20)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「ラヴデイの収容所はほとんどが民間人ばかりで、軍人捕虜はごく少数だった。 ヘイ収容所では全員が被収容者としての「赤い服」を着せられ、千名以上いたらしい日本人のうち…

 ●「続・知らざる日豪関係」(19)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「ヤスムラたち採貝の民間人はブルームで逮捕され、その後サウス・オーストラリア州のラヴデイ収容所へ送られ、ここでしばらく抑留されたのち、ニュー・サウス・ウェールズ州…

 ●「続・知らざる日豪関係」(18)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「『そうですわ、南の国で忠義を尽す男ゆう意味の名前やて、みんないうとりました。 海軍のパイロットだったとかで、オーストラリアの北の方を、二十何回も攻撃したことのあ…

 ●「続・知らざる日豪関係」(17)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「『元日本人』とは、真珠貝採取の出稼ぎ潜水夫として戦前にブルームへ渡り、第二次大戦勃発と同時に収容所へ入れられ、終戦後は日本へ送還されたのち、ふたたび潜水夫として…

 ●「続・知らざる日豪関係」(16)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 「ところが、その集団暴動で死んだ南が、それ以前に、『死』とは正反対の行動『脱走』を企てていたという。 かつて日本軍人は、捕虜を恥辱とし、捕虜になるよりは自決を選ん…

 ●「続・知らざる日豪関係」(15)

〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜 中野不二男さんは、このあと、次のようにつづっておられる。 「1978年のクリスマスの日、チモール海に面したオーストラリア北西部の海岸町ブルームで、「元日本人」ヤス…

 ●「続・知らざる日豪関係」(14)

カウラで起きた「日本人捕虜の大脱走事件」については、「貴重な記録」がある。 ノンフィクション作家の中野不二男さんが書かれた「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」だ。 中野さんは、「日本人捕虜の大脱走事件」のリーダー?(中心とな…

 ●「続・知らざる日豪関係」(13)

この事業に関連して、日本人数千人が 、主にオーストラリアの木曜島周辺とブルームで、第2次世界大戦の直前まで、「貝殻採取の潜水夫」として活躍していた。 (開戦後、彼らは逮捕・拘束される)。 戦争が終わってから採取事業は再開されたが、オーストラリ…

 ●「続・知らざる日豪関係」(12)

この「日本人捕虜の大脱走事件」について触れる前に、「オーストラリアで、真珠の採取に従事した日本人潜水夫」のことを紹介する。 南洋真珠養殖である真珠貝(シロチョウガイ)の採取事業が始まったのは、およそ150年前だった。 記録によると、この事業…

 ●「続・知らざる日豪関係」(11)

外敵から攻撃されることのなかったオーストラリアにとって、第2次世界大戦での「本当の敵」は、ドイツでもイタリアでもなく、実は「日本」だった。 だから、従軍していたオーストラリア人やその家族の中には、今でも「日本軍」に対する怒りを抱いている人も…

 ●「続・知らざる日豪関係」(10)

日本軍がシンガポールを攻撃し、山下司令官(注:山下泰文・フィリピン派遣軍総司令官)が、「イエス・オア・ノー」とイギリス軍に降伏を迫った戦いやガダルカナルを巡るアメリカ軍との戦闘などに、オーストラリアは、軍隊を派遣している。 このとき、日本軍…

 ●「続・知らざる日豪関係」(9)

マッカーサーは、1944年10月から転じた反攻作戦に成功し、公約どおりフィリピンに戻って、同年12月に元帥に就任した。 (クインズランド州・ブリスベンのクイーン・ストリートとエドワード・ストリートの北東角に、「マッカーサー・セントラル・ ビル」が…

 ●「続・知らざる日豪関係」(8)

当時は、いわゆる「白豪主義」が盛んだったが、1940年、オーストラリアには、潜水夫(ダイバー)や貿易商など、およそ1,000人の日本人が住んでいたという。 ところが、「日独伊」の同盟国と「米英」の連合国とが争った第2次世界大戦で、オーストラ…

 ●「続・知らざる日豪関係」(7)

日豪間の貿易は、羊毛から始まった。 1879年、日本は、初めて、オーストラリアから羊毛を輸入する。 その後、神戸の貿易商・兼松商店が、米と石炭(当時の日本の主な輸出品)をオーストラリアに輸出し、羊毛を輸入する「本格的な取り引き」を始めた。 日…

 ●「続・知らざる日豪関係」(6)

1881年から日本人の潜水夫が西オーストラリア州の木曜島に行くようになり、1913年には、木曜島やブルームの真珠産業で働く日本人の数は、1,740人に増えた。 そのほとんどは和歌山県の出身で、「すぐれた潜水技術は高く評価されていた」という。…

 ●「続・知らざる日豪関係」(5)

オーストラリアと日本との歴史が始まったのは、江戸時代だ。 「幕末に、オーストラリアの捕鯨船が日本にやってきた(1831年、レディ・ロウエナ号が北海道東岸の浜中町に来航し、また、1850年には、イーモント号が北海道東岸の厚岸町近くで難破した)…

 ●「続・知らざる日豪関係」(4)

わたしに絡んできたオーストラリア人の話に戻る。 「ところで、あなたは、カウラ(Cowra)での出来事を知っているか?」と、いきなり尋ねてきた。 わたしが「知らない」と答えると、意外そうな表情を浮かべて、 「カウラの捕虜収容所から脱走した日本兵を、…

 ●「続・知らざる日豪関係」(3)

タイミングを計って、「実は、わたしの義父は、原子爆弾で亡くなったのだ」と言うと、彼は一瞬間を置いて、「悪いのは、わたしたち国民ではない。国家なのだ」と大声で叫び、ビールの入ったコップを目の前に掲げた。 (これは、「いつものパターン」だ)。 …