2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き 第2次世界大戦中に小さな島で行われた日本とオーストラリアとの戦争を記したこの本の内容を理解していただくため、まず「訳者あとがき」を紹介した。 …
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き しかしガ島撤退までに見張所が玉砕したのか、活動を継続していたのかはっきりしない。 中北部ソロモンでも二人単位で三カ月交代の見張所が各地に配置さ…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き 米軍がガダルカナルに上陸してきた時点でも、すでに周辺の要点十箇所に見張所を設定している。 エスペランス岬、タイボ岬、ハンター岬、マラバ島(以上…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き 結局、迎えの船は行かず、戦後、戦友たちの手で捜索が開始され、この本にも登場する監視員クーパーが指揮した現住民ゲリラの手で全滅したことが判明した…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き また現住民を集めたゲリラ戦闘も実施されるようになり、この本で詳しく書かれているように、ニュージョージア島セギのドナルド・ケネディは、日本軍の…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き 到着三十分前になると、海兵隊戦闘機の搭乗員はカードゲームをやめて離陸し、最適の高度まで上昇して太陽を背に、やってきた日本の爆撃隊に一撃離脱の急…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き それにもかかわらず、日本軍が制海空権を失いガ島争奪戦に敗れたのは、事態の深刻性を認識できなかった大本営のせいだが、沿岸監視員の貢献するところ…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き 緒戦期にはゼロ戦の基地を三〇〇カイリずつ進めながらその制空権下で占領作戦を進めてきたのに、ラバウルからソロモンに向かった時は、一挙に六〇〇カイ…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き 太平洋戦争開始の時点でフェルトの監視点は六十四個所となっていたが、予期したよも早く日本軍の侵攻が始まった。 トラックを基地とする日本機は早くも…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き のちにニューギニアとソロモンが追加され、第二次大戦が起った一九三九年秋の時点で、監視員の総数は八百人にふえていた。 この本で監視組織の元締とし…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き 白豪主義を宣言して有色人種の植民を禁止していたオーストラリアに対する日本の批判的論調も聞こえてきたから、なおさらである。 豪州海軍はその対策の…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き それは沿岸監視組織が生れ育った歴史とも関連するので、キャンベラ国立大学のシソンズ博士の研究によりつつ概略を紹介しておこう。 オーストラリアは大…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 「訳者あとがき」の続き では沿岸監視員とは何か。 今でも多くの日本人には耳なれぬ言葉であろうが、ミュージカルの名作「南太平洋」を見た人は、ヒロインの美人看護婦に失恋し…
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より 第2次世界大戦中、日本とオーストラリアとの戦争は、わたしたちの知らない小さな島でも繰り広げられていたようだ。 それを明らかにしているこの本の内容を理解していただくため…
「わたしと映画・南十字星」(87) 「オーストラリアの特攻隊」の続き シンガポールの新聞は私の名前をあげて稱めてくれたが、これは私個人の問題でなく、今囘の戦闘で残虐をうたわれた日本軍にも、りつぱな行動もまた多くあったという例證の一つになると…
「わたしと映画・南十字星」(86) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 第二囘は第一囘よりも準備を慎重にし、新しい兵器を持ってきたにもかかわらず失敗に歸し、第一囘の分の償いもかねて生命を失うことになつた。 私は何故にライアン中佐が二度目の壯擧と…
「わたしと映画・南十字星」(85) 「オーストラリアの特攻隊」の続き この言葉は神谷少佐により公式に軍の記録にとどめられ、その文書が終戦とともに英軍に押収されて飜譯されたので、これも私の生命を救う助けとなった。 しかし私自身は、勇士の最後を見…
「わたしと映画・南十字星」(84) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 「グッドラック(幸運を祈る)」と言つていた。 死にのぞんで淡々と挨拶する心境に、泣き叫ぶ以上の悲痛な心境が察せられて、私もまた涙した。 しかし今さら姿をあらわす勇氣もなかつ…
「わたしと映画・南十字星」(83) 「オーストラリアの特攻隊」の続き この文書は英国陸軍省のどこかに保存されているはずである。 處刑の日、私は刑場へ行く勇気がなかつた。 刑場の通譯を同僚の吉村君に頼んだ。 しかし時刻がせまると、やつぱ…
「わたしと映画・南十字星」(82) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 「故國でストーヴの前に座つて、安楽に本を讀んでいる人には私の手記は解らない。 三カ月にわたる逃亡の後、残虐の聞え高い日本軍に捕えられ、きびしい運命を覺悟して取調官の前に出た…
「わたしと映画・南十字星」(81) 「オーストラリアの特攻隊」の続き むしろ武士道の権化ともいうべき被告に、日本軍の心からなる敬意を表して死地に送りたい。 依って銃殺による死刑を求刑する」 求刑の通り死刑が宣告され、私が通譯した。 ページ大尉が…
「わたしと映画・南十字星」(80) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 本官は被告たちを、かの沖禎介、横川省三(注:1904年【明治37年】4月21日、ハルピン郊外の原頭で、コサック兵のため銃殺に処せられ、壮烈な最期を遂げた)の兩勇士に比較するに躊躇し…
「わたしと映画・南十字星」(79) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 「俺はいやだ、本當の裁判長にして、自由に裁判させてくれるなら喜んでやるよ。 そしてみんな無罪にして収容所へ送り込んでやるよ。 それには記録を一週間ぐらい讀ませてくれなければ…
「わたしと映画・南十字星」(78) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 第一囘の壯擧に成功した彼等は、故國で英雄の扱いをうけ、最高勲章をさずけられていた。 しかし、その勲章がまだ到着しないうちに、第二囘の壯擧に出發しなければならなかつたのは残念…
「わたしと映画・南十字星」(77) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 神谷少佐は私にこのことは絶對に口外するなと口止めをした。 「君、腹と腹で行こうじやないか」 私は無論賛成だつた。 現地人の死刑執行は、手續上の不備を理由に延期された。 幸い死…
「わたしと映画・南十字星」(76) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 「私は死を覺悟している。 自分のために無實の人が死んで行くことは、私のキリスト教的倫理観が許さない」 「君はよくても、他の人はどうか」 「ダヴィドソン少佐は覺悟している。 他…
「わたしと映画・南十字星」(75) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 私はマライ語の通譯をしたH君を探して、土人がどんな自白をしたのか尋ねてみた。 彼は大阪外語の出身で、すでにマライ語は堪能になつていたが、その裁判のころは、なまりの多いシンガ…
「わたしと映画・南十字星」(74) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 私は司令部へ歸つて、法務部の記録を調べた。 爆破の時刻、艦船の位置、すべてページ大尉の申し立てた通りである。 しかし記録には、 「シンガポール降伏の際、英陸軍大尉の謀略により…
「わたしと映画・南十字星」(73) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 意外な告白 ページ大尉と仲よくなり、毎日雑談をするようになつた時、私はふと、 「昨年現地人が二十名ほど共謀して、湾内の輸送船を五隻爆破した。 近いうちにこの人たちが處刑される…
「わたしと映画・南十字星」(72) 「オーストラリアの特攻隊」の続き 軍における文官の發言権は極めて低い。 私たちは待遇においては大尉又は中尉と同等であるが、その他の點では「鳩の次ぎ」と云つていた。 將官、佐官、尉官、下士官、兵卒、軍馬、軍用…