2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

 ●「続・知らざる日豪関係」(2)

「カウラ」は、シドニーから400キロほど内陸に入ったところにある。 現在、この地には、「脱走事件」で亡くなった日本人の墓地が造られており、日本庭園や文化センターも建設されている。 わたしが「カウラの事件」について知ったのはいつだったか、正確には…

 ●「続・知らざる日豪関係」(1)

オーストラリアでもう一つ有名? なのは、「カウラ捕虜収容所」の脱走事件だ。 第二次世界大戦中のオーストラリアと日本との間で起きた「あまり知られていない出来事」だが、オーストラリアの人々にとっては、日本の特潜による「シドニー湾攻撃」よりも、こ…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(84)

上前淳一郎さんの「太平洋の生還者」と佐々木半九さん・今和泉喜次郎さん共著の「決戦特殊潜航艇」、そして、豊田穣さんの書かれた「月明の湾口」である。 豊田穣さんの本の「シドニーの岸壁」の項を読んでいるとき、 「シドニー攻撃に参加した中馬兼四、松…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(83)

「私自身としては、全然生還の可能性のない攻撃を部下に強いるという戦法には賛成出来ない。 たとえ、それが下級者の志願の形をとっていてもである。 戦死者名簿を見ると、大部分が大尉以下、すなわち青年である。 稿を終るに当たって、あらためて、若くして…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(82)

(豊田さんの書かれたものに戻る) 「特殊潜航艇は、日本海軍が編み出した独特の攻撃法である。 一般には真珠湾、シドニー、マダガスカルが有名であるが、実際には、特潜関係の戦死者は、三百四十名にのぼっている。(中略) 開戦当初特潜攻撃の計画を聞いた…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(81)

この新聞は、さらに、「オ−ストラリアの商業テレビ局が、26日にシドニー湾沖の海底で見つかった旧日本海軍の特殊潜航艇とみられる船体の映像を放送した。 また、オーストラリア海軍の専門家が、船体の形状などから、昭和42年5月にシドニー湾を攻撃した…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(80)

「昨年五月の六十八期クラス会は、伴の艇を引き揚げるべく努力する決議を行った。 しかし、厚生省の引揚援護局に訴えた結果はかなり悲観的である。 各省のなかでも厚生省は予算が少ないのではなかろうか。 伴の艇は当分の間、シドニーに近いタスマン海の海底…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(79)

「私は昨年(昭和四十八年)夏、名古屋の海兵連合クラス会の総会に招かれてシドニー湾のスライド映写と講演を行った。 その席に伴の兄の好一氏が来ていたので、しばらく伴の話をした。 伴の艇がクッタブル号を撃沈して湾外に脱出した話をすると、好一氏は非…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(78)

「四、シドニーとマダガスカル シドニーに突入した伴勝久少佐も私の同期生である。 彼の性格等は本編に書いたから省略するが、六十八期芳名録に載っている彼の経歴を紹介しておこう。 『愛知県刈谷中出身、通称[バン]さん。 ひげの濃い体のひきしまった精…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(77)

「豊田織機(後のトヨタ自動車)には宇佐見君というウイスコンシン収容所で一緒だった陸軍の伍長が勤めており、酒巻は豊田に勤めることになった。 本編の小説を書いた翌年秋、私は妻を同伴して南米に旅行し、サンパウロで酒巻夫妻に会った。 彼は大いに歓迎…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(76)

「私は丁重な詫び状を書くと共に、社からある程度の金を礼金として彼のもとに送ってもらった。 ところが、縁というものは不思議なもので、酒巻の記事が中日新聞に載ると間もなく、名古屋市の看護婦さんから社会部に電話があった。 『私の伯父は挙母町(現豊…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(75)

「この記事は、十二月八日の紙面一ページを費やして大きく掲載された。 当時は、新聞が二ページしかなかったので、裏面全部が「あれから今日まで」という酒巻の署名入りの記事である。 この頃は米駐留軍の検閲があり、十二月七日の夜九時頃まで検閲パスの知…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(74)

「他の隊員全部が戦死しているので、彼としては記事になることに抵抗があったのであろう。 翌日、私は彼の写真を撮らなければならなかった。 川田の近くに土柱(どちゅう)といって風蝕による奇景がある。 酒巻がそこを案内してくれたので、そこで写真をとり…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(73)

「次の日の夕方私は徳島県川田にある酒巻の家を訪れた。 吉野川の上流にある静かな農村である。 本編にあるように、酒巻はもうすでに結婚していた。 彼は私を歓迎して、酒やら餅やらで接待してくれた。 しかし、私が特潜攻撃の取材に来たというと口をつぐん…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(72)

「同年十一月、Aというデスクが私を呼んで、 「君、捕虜第一号の酒巻と同期だそうだが、一つ当時の様子を取材して来てくれんか。十二月八日の紙面にのせたいんだ」と言った。 私は承知して、岐阜から岡山行きの急行に乗った。 まだ復員列車の多い頃で、列車…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(71)

「酒巻は、自分の体験を始め、キャンプ・マッコイで軍事労働を拒否した日本兵多数が銃剣で突き刺された事件や、デンバーの結核療養所にいた士官と下士官計三名が、衛兵と衝突して射殺された事件などを述べる積りで出廷したが、その一部を述べかかったとき、…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(70)

「房内では一日に食パン一斤(きん)と水をコップに一杯である。 酒巻はこの独房に三週間ずつ三回入れられた。 すべて理由はなく、狷(けん)介なるテーラー大尉の個人的報復である。 楽天的な酒巻はさして苦にしてもいなかったようであるが、後で二週間ほう…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(69)

「真珠湾攻撃に参加したエンスン(海軍少尉)酒巻の名は、アメリカ部内にも知られていたので、テーラー大尉は、酒巻を待っていた。 キャンプ・ケネディの駅に降りると、大尉は直ちに酒巻を独房に連行した。 この独房は野原にぽつんとおいてある鉄製の箱で、…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(68)

「テキサスのキャンプ・ケネディ収容所の司令官はテーラー大尉と言って初老の陸軍士官であった。 彼は日本兵に恨みを抱いていた。 真珠湾攻撃のとき、彼は陸軍少佐で、守備隊の大隊長を勤めていた。 日本軍が奇襲したとき、彼は外出してホテルに泊まっていた…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(67)

「その夜、私と酒巻は収容所のキャンティーン(酒保)で、二日に一本配給になるビールの小瓶(当時はまだ待遇はよかった)をあけてクラス会を開いた。 キャンティーンの暗い灯火のもとで、言葉少なく催されたわびしいクラス会であった。 それから日本に帰る…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(66)

「捕虜になって、真っ先に頭に来たのは、『ついにおれも酒巻と同じ運命に陥ってしまった。 どこかで彼と会えるかも知れぬ』ということであった。 ソロモンの海に落ちてから丁度一年目の昭和十九年四月八日、私はアメリカ本土のウィスコンシン州のキャンプ・…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(65)

「酒巻と私は海兵時代同じ分隊にいたことはないが、二人共第二外国語が支那語であったので、毎週土曜日には支那語教室で顔を合わせた。 彼も私と同じく背の低い方なので、私の左隣りが彼であった。 三年半の間、毎週土曜日には顔を合わせたので、かなり親し…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(64)

「ある同期生は『酒巻は自決してくれんかな。捕虜を出したら六十八期の恥だ』 と思いつめた表情で言った。 その後、三月七日に九軍神の発表があってから、酒巻が捕えられているということは決定的となった。 酒巻が戦死しておれば、十軍神となっているはずだ…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(63)

「その点、シドニーでは、艇が引き揚げられ、特潜の攻撃が確認されているので、オーストラリア海軍ならびに市民の驚愕は大変なもので、彼らは畏怖の念をもって、ミゼット・サブマリンの名を記憶しているのである。 (中略) 三、酒巻と私 真珠湾攻撃があって…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(62)

「実は、特潜攻撃でもっとも戦果のあがったのは、マダガスカルなのである。 戦艦ラミリーズ型一隻大破、油槽船一隻撃沈というのは、一つの艦隊並みの戦果である。 但し、ここに一つ残念なことがある。 それは、当時ディエゴ・スアレスを警備していたフランス…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(61)

「十七年五月に行われたシドニーとマダガスカルの攻撃に対してもそれぞれ報道されたが、そのスペースは、真珠湾にくらべてずっと小さかったように思う。 手元の復刻版には、六月初の新聞がないので、比較することが出来ないのが残念である。 シドニーの攻撃…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(60)

「就中(なかんづく)夜襲に依る「アリゾナ」型戦艦の轟沈は、遠く港外に在りし友軍部隊よりも明瞭に認められ、十二月八日午後四時三十一分(布哇【ハワイ】時間七日午後九時一分)即ち布哇における月出二分後真珠湾港内に大爆発が起り火焔天に冲し灼熱せる…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(59)

「別のみだしに『白昼強襲或は夜襲・敵艦轟沈』とあって、次のような記述がある。 斯くて御稜威(みいつ・天皇や神などの威光)の下天佑神助(注:てんゆうしんじょ・天の助け、神の加護)を確信せる特別攻撃隊は某月某日枚(ばい・注:昔、夜討ちのときなど…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(58)

「続いて、九軍神の新旧階級と氏名が岩佐直治中佐を先頭に示してあり、その横に大本営発表が出ている。 大本営発表は長いが、要点を抜粋してみよう。 [大本営発表](六日午後三時)特別攻撃隊の壮烈無比なる真珠湾強襲に関しては既に公表せられたる処、此…

 ● 作家の描いた「特殊潜航艇」(57)

「″大君の醜のみ楯といふものはかゝるものぞと進め真前に″(橘曙覧=あけみ)連綿たる防人の伝統精神は現代に立派に生きて先人の垂範に答へたのだ。 若木の桜は潔く真珠湾頭に散った。 軍神を生んだ日本の誇り、郷土の誇り、われらの誇り、わが海軍は六日こ…