2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「オーストラリアを知らせる勝手連」(27)

100回以上の講演の中で、今でも忘れないのは、雪の降りしきる夜、石川県の山奥にある公民館を会場に、20人ほどの若者と話し合ったときのことだ。 「オーストラリアの奥地に住む子どもたちの夢は、一生のうちに一度でいいから海を見たいということだ」と…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(26)

いろいろな会社の創業記念日やPTAの会合、そして、大学生・高校生の勉強会、ロータリーやライオンズ・クラブ、老人のグループ、農漁村の若者たちを相手に、質問も含めて1時間から長いときには3時間に渡って、オーストラリアについてお話しした。 だから、…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(25)

「予算が少ない」、もっとわかりやすく言うと、「講演料の出せない」小さな団体の依頼でも、精力的に講演を買って出た。 「講演を始めてから、もう100回になるわね」と連れ合いが言ったのが2年前。 去年から今年にかけて、腰痛のため3ヶ月の入院生活を…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(24)

同時に、「オーストラリアの本当の姿を、一人でも多くの人に知ってもらおう」と決意した。 正直に言うと、「あまりにも知られていない」という憤り? もあった。 そのために、「横路さんの勝手連」と同様、さまざまなゲリラ戦術を駆使している。 講演の演題…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(23)

最近でこそ、オーストラリアの観光地を紹介する番組も放送されるようになったが、大抵の場合、決まって登場するのは、原野を跳び回るカンガルーであり、ガムトゥリーにしがみついているコアラであり、果てしなく広がる牧場を点々と草をはむ羊の群であり、赤…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(22)

すると、 「あんな発展途上国に2年もいたなんて、よく我慢できましたね」 と、意外な答えが返ってきた。 私は、意外な話の成り行きにあきれるとともに、 「どうしてこんなオーストラリア観が生まれたのか」、がぜん興味を覚えた。 多くの日本人は、新聞の経…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(21)

オーストラリアから帰って間もなく、あるいは、その後勤務先を変わるごとに、「オーストラリアに2年以上も行ってたんですって? 大変だったでしょう?」と、同情の? 声をかけられた。 何ごとも素直に受け取るお人好しの私のこと。 当初は、「慣れない外国…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(20)

「日本語」を正課に取り入れる学校が増え、日本への関心がますます高まっているオーストラリアの人々は、自国の名前を間違う日本国民の代表を、いったい、どんな目で見ているのか心配になる。 私の「オーストラリアを知らせる勝手連」は、なるべく早い機会に…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(19)

国会のこと(システム?)はよくわからないが、国会議員の中に、どうして「オーストリアではなく、オーストラリアですぞ」と、耳打ちする人がいなかったのだろうか。 あるいは、すべての国会議員(この場合は「衆議院議員」)が、オーストラリアとオーストリ…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(18)

だから、次のような初歩的な間違いを国会の場で堂々とやり取りすると、オーストラリアは、「日本人の受け入れを拒むこと」になるかもしれない・・・。 何年か前の衆議院の代表質問で、ある野党党首が、日本とアメリカ、カナダ、オーストラリア、それにニュー…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(17)

地元の電力会社の「世界の原子力発電所の所在地」を示すパネルには、 「オーストラリアがヨーロッパに位置する」ように展示されていた。 たまりかねて? 広報の担当者に、何度か「間違いを指摘した」ところ、最近になってこのパネルは取り外されていた。 こ…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(16)

今私の住んでいる地元の新聞は、「豪州版”なめんなよ”」というタイトルで、「世界アルペン選手権が開かれるオーストリアのシュラートミンクで、大会の公式マスコットのピョンピョンうさぎがお目見えした(中略)。 さて、日本の”なめネコ”ブームを超えられる…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(15)

と言うのは、「オーストラリア」と「オーストリア」を混同する例が、あまりにも「頻繁に」みられるからだ。 1982年のスポーツ新聞のHは、 「誓い」というオーストラリアの映画を 「オーストリア映画・CTC配給」と紹介しているし、 同じ年の3月5日のNス…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(14)

ほとんどの回答者は、みごとに、 「ウィーン」と答えたが、このとき私は、 「この質問が逆であったら、つまり『オーストラリアの首都は?』という問いだったら、果たして何人の正解者が出ただろうか」 と、素朴な疑問を抱いた。 早速、行きつけのバーなどで…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(13)

この話を聞いたとき、かの先生が「オーストラリアをオーストリアと間違えたのは、ご愛きょうだ」とも思えるようになった。 創立記念日にその高校を訪れたとき、会場に掲げられた「演題」は、「オーストラリアの・・・」と書かれていたので、気分よく講演を済…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(12)

たまたま予定がなかったので、二つ返事で引き受けたのだが、 「私が滞在していたのは、オーストリアではなく、オーストラリアだったんですよ」と、基本的な間違いに立腹? して、語気鋭く言ってしまった。 すると、この先生は、 「じゃあ、ヨーロッパの方で…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(11)

「私の学校の創立記念日に、ぜひ特別講演をお願いしたい」と言うのだ。 東京で何度か講演を頼まれていたので、戸惑いはなかったが、この教師の電話の内容には、いささかがっかりさせられた。 いや、ある意味では「ショック」でもあった。 「長い間、オースト…

「オーストラリアを知らせる勝手連」(10)

日本らしさがふんだんに残る新しい勤務先での生活にも、次第に慣れてきた。 「見るもの」「聞くもの」の一つ一つに「日本のすばらしさ」を再発見し、そのつど感動して、生きる自信を取り戻しかけたころ、私の書いたものは「形」となって、世に出た。 オース…

 「オーストラリアを知らせる勝手連」(9)

私は、すっかり疲れ切ってしまった。 当然、職場でもふさぎ込むことの方が多くなった。 そんな私を見て、半ば慰めるように、 「オーストラリアで出会った人々のことや実際に生活した貴重な体験を、文章にまとめてみたら」と、勧めてくださった方がいた。 そ…

 「オーストラリアを知らせる勝手連」(8)

「お先に失礼」と「アフター・ユー」という言葉との違いを、イヤというほど思い知らされた。 オーストラリアでは、ごく当たり前のように使われている「サンキュー(ありがと)」が、この国では、こんなに「貴重なもの」だとは思いもしなかった。 デパートで…

 「オーストラリアを知らせる勝手連」(7)

ラッシュ・アワーを避けるために、「朝早く家を出て、夜遅く家に帰る」という変則的な日々が続いた。 人が大勢集まるところに行くと、目には見えない”人圧?(プレッシャー)”を感じて、人通りの少ない道を選んでは、コソコソと歩く毎日だった。 何よりも惨…

 「オーストラリアを知らせる勝手連」(6)

当時、私の口をついて出るのは、「狂気満ちるところ」という言葉だった。 そんな私のことを、友人たちは「典型的なオーストラリアぼけ」と、冷たく突き放した。 私は、この友人たちの言葉がどうしても納得できず、かたくなに、 「こんなおかしな国に、平気で…

 「オーストラリアを知らせる勝手連」(5)

話は、10年前(‘73年)にさかのぼる。 オーストラリアで2年余り過ごして東京に帰ったとき、私は、「わが身が張り裂けんばかり」のカルチャー・ショックに襲われた。 その度合いは、日本からオーストラリアに行ったときとは違って、非常に「強烈」だった…

 「オーストラリアを知らせる勝手連」(4)

私の机の上に置いてある本棚には、オーストラリアの国旗がある。 その下には、ワルツィング・マチルダの歌詞を記した印刷物が・・・。 今は色あせてしまったが、この国旗こそが「わが勝手連」の旗であり、その綱領とも言うべきワルツィング・マチルダの歌詞…

 「オーストラリアを知らせる勝手連」(3)

この記事を、私はもう一度目を凝らして読み返していた。 自分が、オーストラリアについていろいろと試みてきたことと、”みごとに一致している”ように思えたからだ。 つまり、「横路氏を乗せた運転手」に相当するのが「私」であり、この運転手の出会った「横…

 「オーストラリアを知らせる勝手連」(2)

札幌市内のあるタクシー運転手は、3年前(’80年)に横路代議士を乗せたとき、国会でのやり取りを懇切・ていねいに説明してもらったことが忘れられず、「運ちゃん勝手連」を結成した。 これらの勝手連は、さまざまな「ゲリラ戦術」を展開する。 バーやスナ…

 「オーストラリアを知らせる勝手連」(1)

以後は、一般向けではなく、「オーストラリアの研究グループ」を対象に書いたものを紹介させていただく。(「KOALA PRESS AUTUMN 1983 12」 わが「オーストラリアを知らせる勝手連」ノートより。 今年4月、北海道に24年ぶりに革新知事が誕生した。 …

  ある講演から(50)

いたずらに嘆くだけでなく、大いに自信を取り戻そうではありませんか。 私たちが「総ざんげ」する必要は、まったくありません。 もっとも、一部の世界(社会)の方々には、ぜひ「猛反省」を促さなければならないのは事実ですが・・・。 もうおわかりと思いま…

  ある講演から(49)

オーストラリアの国民性や生活などについて、私の体験したことを、そのままお話しした次第です。 赤道を挟んで南のオーストラリアと北半球にある日本とは、万事にあべこべの国であることが、少しはおわかりいただけたと思います。 季節が逆であること。過疎…

  ある講演から(48)

オーストラリア国内で使われているお金に、50セント硬貨があります。 この中に、1970年に発行された「オーストラリア発見200年記念硬貨」が含まれています。 日本では、「東京オリンピック」や「沖縄海洋博」などの記念硬貨は、非常に大切に扱われ…