2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧

  対日本観(8)

年間3・000万トンの鉄鉱石を生産し、そのうちの75パーセントを日本に輸出していたある鉱山会社は、日本の鉄鉱石の需要増を見込んで、新しい鉱山の建設に取りかかっていたからたまらない。 完成寸前の住宅や学校、病院、ショッピング・センターなど、「…

  対日本観(7)

「オーストラリアの日本企業のオフィスは、どこも夜遅くまで明かりがついていますが、私たちなら夕方までに片づく仕事でも、その仕方が悪いから時間がかかるんです。私は、そう思っています」。 パブで、真っ昼間からビールをあおっているこの国のサラリーマ…

  対日本観(6)

「大体、日本人のあなたが、“仕事の能率についてうんぬんする”のはおかしいですよ。 私は、日ごろから感じているのですが、“日本人が勤勉だ”などとは、まったく考えたことがありません。 要するに、仕事のやり方がのろいだけなんですよ。 何かというと、すぐ…

  対日本観(5)

彼は、第2次世界大戦中、南方の収容所で日本軍の捕虜としての生活を送るうちに、捕虜の世話をする日本人の兵隊たちが上官からポカポカ殴られるのを見て、いたく同情し、「彼らもまた、自分たちと同様、“捕虜”に過ぎないのだ」という見方をしていたという。 …

  対日本観(4)

それどころか、「日中国交回復」のニュ−スを伝える一方で、 「日本は、今後、すべての資源を中国から輸入するようになるのではなかろうか」 と結んだ新聞もあった。 この新聞は、数ヶ月前には、 「かつての敵国日本に、私たちの大切な財産である“資源”を売っ…

  対日本観(3)

そのせいか、オーストラリアにとって、アジアが、特に日本が年々「大切な存在になってきている」のは事実だ。 今では、「日本がくしゃみをすると、オーストラリアはすぐさま寝込んでしまう」に違いない。 だから、「オーストラリアのメディアが日本のニュ−ス…

  対日本観(2)

当然、アメリカ政府首脳は“激怒”する。 これが「豪米冷戦」の発端となり、両国の関係は完全に冷え切ってしまった。 一方、イギリスのEC加盟以来、オーストラリアは、かつての“母国”とも「縁遠い」状態になり、相互の「英連邦特恵」は廃止された。 さらに、1…

  対日本観(1)

(誤解のないよう改めて書きますが、これは「1970年当初」の体験です)。 ひところ、“アメリカがくしゃみをすると、日本が熱を出し、オーストラリアが風邪をひいて病気になる”と言われていた。 だが、1972年12月下旬、オーストラリアに労働党政権…

  アボリジニ−(19)

偶然にも私の見方と一致したのだが、「それが、いつになるか」を巡って、私たちの意見は対立した。 私の「意外に早いのでは?」という考え方に対し、彼は「まだまだ、遠い将来の話だ」と反論する。 私が“せっかち過ぎる”のか、あるいは、彼が典型的なオース…

  アボリジニ−(18)

言い換えれば、「白人の血の混じっていない原住民は、“オーストラリア人”にはなれない」という訳だ。 ここには、「白人(オーストラリア人)と原住民とを“隔離”しようとする意図が明確に感じられる」と言ったら“勘ぐり過ぎ”だろうか。 私は、原住民問題につ…

  アボリジニ−(17)

話を元に戻す。 生後数ヶ月の原住民の女の子を養育していたブラウン氏の婦人は、 「生みの親が子どもを取り戻そうとしたのは、娘と引き換えにもらえる“お金”が目当てだった」と話す。 「あらかじめ、ブラウン夫妻がその子を自分たちの養子にしておけば、問題…

  アボリジニ−(16)

これを解明する“手がかり”となる? こんな話がある。 14歳の誕生日を迎えたある原住民の女の子が、その当日、父親から、突然、 「今日、酋長と結婚しなさい」 と言い渡された。 酋長は、45歳だった。 驚く娘に、父親はこう話した。 「お前がお母さんのお…

  アボリジニ−(15)

この少女は、生みの親が病気で入院したため、生後数ヶ月でオーストラリア北部のダーウィンに住むブラウン夫妻に引き取られ、幸せに暮らしていた。 だが、ある日、原住民担当の役人がブラウン夫妻宅を訪れてこの子を連れ出し、親元である北部の奥地に送り込ん…

  アボリジニ−(14)

サンツ師ら伝道団の人々は、 「教育を通じて、この地域に住む原住民を“白人社会に溶け込めるよう”、言いかえれば、“白人とともに働き、ともに生活できるよう”に育て上げること」が願いだという。 サンツ師は、カランバラに根づいているコミュニティーのパタ…

  アボリジニ−(13)

引き続き、サンツ師の「記述」を紹介する。 「第2次世界大戦中、日本の爆撃機隊がこの地域を攻撃したため、ほとんどすべての建物が焼き払われ、当時の修道院院長だったトーマス・ギル師が死亡した。 ギル師は、原住民の女性一人と子ども二人をかばうように…

  アボリジニ−(12)

サンツ師は、こうも書き著わしている。 「これらの“基礎訓練”を終了すると、彼らには、伝道団の発電装置や農業機械置き場での仕事が与えられ、“一人前”になれば、白人労働者とほとんど同額の賃金がもらえるようになる。 だが、一般的に、若い男性の場合、「…

  アボリジニ−(11)

サンツ師の書いたものを、さらに引用する。 「カランバラでの生活は、“牧歌的でのんびり”としたものかもしれない。 だが、彼らは決して怠けたり、漫然と生きたりしてはいない。 働いていないのは、ごく限られた人数のお年寄りだけだ。 カランバラの若者たち…

  アボリジニ−(10)

伝道団の修道院院長であるセラフィン・サンツ師は、 「いずれ、人口爆発が起こりますよ」と、意外なほど明るい表情で話す。 というのも、ここに住んでいる原住民200人のうち、16歳以下の若者が80人もいて、出産率が年々上昇しているからだ。 だが、この…

  アボリジニ−(9)

実は、この日、議事堂の前には500人もの原住民が押しかけ、政府の差別政策に反対して気勢を上げた。 これは、これまでの“原住民運動史上”最大規模の行動となった。 オーストラリアの原住民の保護に当たっているのは、連邦政府だけではない。 キリスト教の…

  アボリジニ−(8)

原住民で初めての政府高官であるパーキンス氏は、 「アルコール中毒者は、白人社会の方がはるかに多い。原住民が酒におぼれるのは、社会的に疎外され、住居などの福祉施設が十分でないからだ」と、政府の対策の遅れを指摘し、厳しく非難した。 続いて、野党…

  アボリジニ−(7)

1974年1月中旬、原住民が多く住んでいるオーストラリアの北部特別地域を訪れたパターソン北部開発担当大臣は、 「この地域に住む人たちは、政府の補助金で酒ばかり飲んでいる。一部の扇動者から、『白人のために働く必要はない』とそそのかされ、怠けて…

  アボリジニ−(6)

原住民が求めているのは、福祉政策の充実のほか、白人から“タダ同然”で取り上げられた自分たちの土地所有権の確認と各州に残る差別的な法律の廃止などだ。 中でも、原住民が強く要求しているのは「土地所有権」に関するもので、これについては、政府も“認め…

  アボリジニ−(5)

原住民は、オ−ストラリアの総人口の1%に当たる14万人はいると言われているが、“正確な数”は、分かっていない。 なぜなら、彼らは、今でもオ−ストラリアの“人口統計”の対象外になっているからだ。 その上、教育や就職などあらゆる点で、白人とは“差別待遇…

  アボリジニ−(4)

肥沃な土地を求めて進出する白人たちは、行く先々で原住民を殺りくし、辺地へと追いやった。 彼ら原住民が生活しているところは、現在でも、「生活のしにくい」大陸の北部や西部に集中している。 連邦政府は、北部特別地域のダーウィン周辺などに180ヵ所…

  アボリジニ−(3)

「我が国には、貧乏人も金持ちもいない」。 これは、オ−ストラリアの人々が、自慢そうに口にする言葉だ。 こういうとき、彼らは原住民のことを、“さっぱり忘れて”しまっているのだろうか。あるいは、逆に「十分に意識しているために、触れられたくない」のだ…

  アボリジニ−(2)

彼らが働いている姿を見たのは、ブリズベン郊外のパイナップル工場だった。 機械で選別されたパイナップルが、次の工程である洗い場にベルト・コンベヤーで運ばれてくる。 だが、機械の調子が悪いのか、そこで流れが止まり、パイナップルが大量に詰まってし…

  アボリジニ−(1)

私が、オ−ストラリアの原住民であるアボリジニーを初めて見たのは、メルボルンに赴任してから一ヵ月後に催された市内挙げての“ムーンバ祭り”のパレードだった。 わずかばかりの民族衣装を身にまとい、体のあちこちに「粘度」で白い筋を付けていた。 このよう…

  白豪主義(7)

移民大臣は、さらに、「これは、俗に言う白豪主義とは違う」とも付け加えている。 この事件から8年が経ち、労働党内閣が誕生して情勢は一変する。 「オ−ストラリア移住者協会」の人々が、ナンシーさんの再移住許可を政府に申請したところ、これが認められた…

  白豪主義(6)

結局、6歳の少女は、以前住んでいたフィジ−島に追いやられた。 その理由は、「皮膚の色が悪いから」だった。 これより前、当時の移民大臣は、6歳のナンシーさんの国外追放問題について、次のように発表している。 「オ−ストラリアは、これまでも白豪主義な…

  白豪主義(5)

「オ−ストラリア人男性と結婚した彼女の姉はこの国に永住できるが、妹のナンシーさんは別」というのが、前政府の見解だった。 実は、彼女については、“ドラマティックな事件”が待っていた。 姉夫婦と一緒にシドニ−に住んでいた当時6歳のナンシーさんは、国…