●「続・知らざる日豪関係」(3)

 タイミングを計って、「実は、わたしの義父は、原子爆弾で亡くなったのだ」と言うと、彼は一瞬間を置いて、「悪いのは、わたしたち国民ではない。国家なのだ」と大声で叫び、ビールの入ったコップを目の前に掲げた。
(これは、「いつものパターン」だ)。
 この背景には、「1945年8月の終戦までに、日本との戦争で17,500人ほどのオーストラリア人が犠牲となり、この数は、ドイツとイタリアとの戦争で死亡した人数のほぼ2倍に当たる」という事実(歴史)があるからだろう。
 第2次世界大戦は、オーストラリアの人々の心に深い傷あとを残し、日本に対して激しい憤りを覚えさせたことを忘れてはならない。(わたしたち日本人には、「オーストラリアと戦争をした意識」はほとんどないのだが・・・)。