●「続・知られざる日豪関係」(439)

 〜 カウラ事件とは? 〜


「関連項目」の続き


 事件の戦死者(オーストラリア警備隊による機関銃掃射)が、広島師団出身者であることから、広島の地酒を持参して墓に注ぎ、慟哭、撮影に苦慮した。


 墓地は映画として記録され海外広報に使われた。


 高橋夫妻は、日本人墓地が出来てから初めてカウラ市に泊まってくれた日本人(市役所の言)として歓待を受け、その後長く市長夫妻らとの交流が続いた。
 この取材実現には、当時の斉藤大使夫妻、木名瀬参事官が努力した。