「コミュニティ−のル−ル」のさらに続き

  

 なぜなら、オ−ストラリアの一部で言われている次のような俗説? を説く回答にはなっていないからだ。
「1920年代までは中国人の黄色い流民が脅威だったが、それが1940年代は日本人に代わり、現代ではインドネシア人になっただけだ」と、一般に言われていることだ。
 それはそれとして、彼の言わんとすることの一端は理解できる。
 言うまでもなく、ル−ルは、守るよりも破る方が、簡単で容易だ。きちんと守ろうとするのは、きついし辛くもある・・・。
 友人は、さらに続ける。
「ル−ルを知らない子どもたちに、みんなで教えてやろうというのはごく当たり前で、別に感心することでもないと思うよ!」。
 確かに、「他人の子どもが何をしようが、自分の知ったことではない」という生き方の方が、はるかに楽な選択だ。だが、本当にそれでいいのだろうか???