アボリジニ−(19)

 

 偶然にも私の見方と一致したのだが、「それが、いつになるか」を巡って、私たちの意見は対立した。
 私の「意外に早いのでは?」という考え方に対し、彼は「まだまだ、遠い将来の話だ」と反論する。
 私が“せっかち過ぎる”のか、あるいは、彼が典型的なオーストラリア人気質を反映して“のんびりしている”せいなのか・・・。
 とにかく、私たちの予測には、大きな“隔たり”があった。
 それにしても、アメリカ黒人の“ブラック・パワー”のように、アボリジニーの存在が社会問題として大きく表面化するのは、いったい“いつ”のことだろう・・・。