ある講演から(24)

 

「いや、彼は24歳だ」と答えると、
「じゃあ、どうして父親が責任を取らなければならないのか」と尋ねてくる。
 そこで、「今度のような事件の場合、日本では、犯人(本人)だけでなく、その子どもを育てた親までが道義的責任を取らされるのがごく普通だ」と繰り返し説明したが、彼は「どうしても納得できない」という表情をしていました。
 彼の言わんとするところは、
「子どもが一人前の大人になったことを、みんなが認めていないことにはならないのか」。私の考えと違って、彼の疑問? は、そこにあったようです。
 彼は、またこうも言いました。

 

「日本人は、両親だけの力で、子どもを一人前の社会人として立派に育てることができるとでも思っているのか・・・」。
 成人するまでは、世の中の大人という大人が、みんなで「人間教育をする」。
 この「オーストラリア方式」を、個人的には「すばらしい」と思います。
 帰国して間もないころ、テレビで、「他人の子どもを叱ってもいいか」という番組を放送していましたが、昔は他人の子どもを叱るのは当たり前のことでした。
 事実、いたずら小僧だった私は、近所のおばさんから何度も叱られたものです。
 私がオーストラリアにいたころ、「アッシには、ナンのかかわりもないことでゴザンス」というテレビに登場する主人公のせりふが流行したそうですが、今の世相を反映しているように思います。