ある講演から(40)

 

 現地からの報道によりますと、事故発生から4日後に事故現場を訪れた遺族は、日本人を除くと、香港の中国人の一家族だけだったそうです。
 アメリカ人やオーストラリア人の遺族は、現場には行かなかった。そればかりか、オーストラリアでは、このときすでに、事故を起こしたパン・アメリカン航空と遺族との間で、「補償金」をめぐる交渉が始まっていました。
「ずいぶん、考え方が違うものだなあ」と、改めて「民族性、あるいは文化の違い」を感じました。
 その後、パリ郊外でジャンボ機が落ちたときも、日本の遺族は、「現地まで行って、遺族と対面したい」と訴えましたが、これは認められませんでした。
 フランス当局は、「衛生上、好ましくないから」と、許可しなかったのです。