ある講演から(39)

 

 すると、彼は
「私たちオーストラリア人は、こういうときには、ただ『バッド・ラック=運が悪かった』と言うだけなんだよ」
と答えました。
 そして、「亡くなった人の魂は、肉体を離れて神のみもとへ行ってしまった。
 だから、もはや魂の抜けた遺体を探しに行くことはしない」と言うのです。
 この考え方に、日本人の私は、どうしても納得できませんでした。
 ところが、帰国した翌年の1974年の4月、同じようなことに出合いました。
 今度は、パン・アメリカン航空ボーイング機がバリ島で墜落する事故があり、このときも16人のオーストラリア人が犠牲になったのです。