「オーストラリアを知らせる勝手連」(29)

 

 この映画祭の当日は、先ごろオーストラリアに帰国された豪日交流基金の前東京事務所長のドッヅ氏と、会場の設営から、入場券のもぎり役まで一緒に行ったが、これも、今では懐かしい思い出になっている。
 ところで、初の日豪合作映画「南十字星」のお手伝いをするきっかけとなったのが、実は、この「オーストラリア映画祭」だった。
 今にして思えば、「偶然」とばかりは言えない「出会い」があった。
 ドッヅ氏より一足先に仙台入りされた豪日交流基金本部のホッカー氏らと夕食を取っていたとき、彼に同行して来日したオーストラリア国営映画委員会のスタッフが、突如、「仙台在住の映画プロデューサーで、野麦峠を製作した持丸寛二氏と面会の約束がある」と言い出したのだ。