「オーストラリアを知らせる勝手連」(30)

 

 これをきっかけに、私は、何が何でも「日豪合作映画の夢」を実現したくなった。
 持丸氏と何度もお会いし、そのつど「オーストラリア人の国民性」について語り、彼らとの交渉の仕方やルールなど、2年余りの滞在と帰国後の彼らとの交流を通じて学んだ知識のすべてをお話しした。
 幸い、オーストラリア大使館などのご理解もあって、合作映画はついに実現に至ったのだが・・・。
 かなり早い段階から、台本作りにも参加させていただいた。
 だが、クライマックスとも言うべき「主人公の斬首シーン」をめぐって、持丸氏と真っ向から意見が対立した・・・。