「山本康久氏の証言」から(3)

(山本氏の「戦暦」)
 昭和14年、江田島海軍兵学校を卒業。
 その後、半年間は内地で過ごし、支那・ハワイ・南洋へと「遠洋航海」をする。
 最初の1年間は、1万トン以上の大きな艦船に乗るのが恒例になっていて、山本氏は、第2艦隊の旗艦である「高雄」の航海士を務めた。
「航海士」の任務は、主に艦橋にいて、夜間演習が始まると、遮光された海図ボックスに頭を突っ込むようにして入れ、艦の針路や位置を割り出す。
 そして、演習が終わると、旗艦「高雄」から、「進路何度」と航海参謀に報告し、全艦隊を率いて帰港したという。