「山本康久氏の証言」から(4)
このほか、「電信室から上がってくる情報を、艦橋から乗員に適切に伝えること」も、任務の一つだった。
開戦間近の状況下で、次第に、
「敵を見ないうちに、戦争が終わってしまうのでは、おもしろくない」という心境? から、実戦に参加できる「潜水艦」の乗員を志望した(当時、参戦できるのは、飛行機か潜水艦しかなかったという)。
昭和15年秋、潜水学校の普通科に入学。
その年の暮れに潜水学校を卒業し、「伊69(後の169)潜水艦」の乗員となった(以来、終戦まで潜水艦に乗り続けた)。
翌16年9月には、伊24潜水艦の艤装員を命ぜられ、およそ2カ月間、佐世保で艤装の任に就き、その年の10月30日に竣工(工事の落成すること=広辞苑)した。