「山本康久氏の証言」から(30)

 

 攻撃が終わった12月8日の夜、湾内にいる横山少佐の艇から、
トラ・トラ・トラ」(我れ攻撃に成功せり)の無電があった。
 だが、彼の艇は、永遠に帰還することはなかった。
 その後一ヶ月ぐらい、われわれは、真珠湾の出口を封鎖し続けた。
 また、年が明けた1月10日ごろには、敵空母・レキシントンを追ったり、1月25日には、伊22と伊24とで、ミッドウェーを砲撃したりし、2月2日に、補給のため横須賀に帰港する。
 そのとき、橋本大尉は少佐になって退艦し、荒木大尉は先任将校に、 わたしは航海長になった。
 一ヶ月の補給と休養を終えたあと、二度目のハワイ封鎖に出撃する。
 やがて、陸軍によるミューギニアポートモレスビー攻撃と、これに呼応する形で、珊瑚海海戦が始まった・・・。