● 作家の描いた「特殊潜航艇」(76)

「私は丁重な詫び状を書くと共に、社からある程度の金を礼金として彼のもとに送ってもらった。
 ところが、縁というものは不思議なもので、酒巻の記事が中日新聞に載ると間もなく、名古屋市の看護婦さんから社会部に電話があった。
『私の伯父は挙母町(現豊田市)で豊田自動織機の人事部に勤めていますが、酒巻さんのような苦労をなさった方に来てもらいたいと言っています。
 是非お伝え願います』ということである。
 私が酒巻に手紙を書くと、彼は食糧をつめこんだリュックサックをかついで岐阜にやって来て、私の家で泊まった。」