●「続・知らざる日豪関係」(156)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「アンザイはラヴディ収容所でも南を見かけたが、一週間ほどのうちに脱走が発覚し、よその収容所へ送られたらしい、といっていた。
 一週間と十三日間というのは、多分記憶違いによるものだろうが、『よその収容所』に送られたというのは、実は他の収容所へ送られたのではなく、ラヴディ収容所に併設された拘置棟だったのかもしれない。
 捕虜が収容所という拘束された環境の中から、さらに強い拘束を受ける拘置場に入れられるのは、収容所の規則に違反した場合など、オーストラリア軍にとって好ましくない行動をとった場合であろう。
 脱走などは、そうした違反行為の最たるものだったに違いない。
 次いで南は、六月十五日から翌一九四三年の一月八日まで、半年にわたってヘイ収容所に収容されている。」