●「続・知らざる日豪関係」(181)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「『カウラ収容所に入れられた時、先にいた戦友が、
[ご苦労さん]
と出迎えてくれ、負傷後の体が完全でなかった私を両側から支えてくれました。 
 私がカウラに着いたのは十八年の中ごろと思われますから、比較的早かったのですね。
 人員もあまりなかったようです。
 南という、海軍兵曹のパイロットと聞いていましたが、キャンプリーダーと事務所で会いました。
[いまこのキャンプに三百人の捕虜がいる。
 陸軍、海軍、軍属を合せての数字だが、所属、身分は関係ない。
 ″再び立つこともあるから″、それまでは体力の回復を図ってほしい]
  と南さんは言っていました。」