●「続・知らざる日豪関係」(182)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「南兵曹は飛行機がやられて捕まった組らしかったから戦争の本当の恐怖を知らないかのようでした。
 これに対して穏健派は、不利な戦闘の苦闘をいやというほどなめさせられ、重傷や病気のために身動きできない状況下で捕まった陸軍出身者に多かったように思います。
 もっとも当時の兵隊ですから、内心はどうであれ、強硬派に正面切って反対する者はいません。
 大義名分は強硬派にあったことは事実でした。
 班長会議と言って、各班の班長が定期的に会議を開いていましたが、どうしても強硬派がリーダーシップをにぎるようになっていったように思います』(″ ″点筆者)」