●「続・知らざる日豪関係」(184)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「十八年一月初旬に捕虜となった、塚本兼松氏の証言。


『いろいろな人がいましたが、そのキャンプリーダー格の人で強烈な印象として今に残っているのは南兵曹ですね。
 パイロットだったそうですが、顔に傷がありました。
 飛行機がやられた時負傷したらしいのですが、詳しいことは知りません。
 九州の人だという人もいました。
 おそらく偽名だったでしょうから言ってみれば幻の人です。
 英語が達者で、よく豪洲の将校にくってかかっている姿を見たものです』」