●「続・知らざる日豪関係」(185)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


ニューギニアで捕虜となった、野田浩蔵氏の証言。


『南兵曹の吹いたラッパの音を耳にしたのは五日午前二時です。
 手に手に武器を持って──と言っても野球のバットとか棒切れですが、わあっーと声をあげてハットから出て行きました』

 以上が[人間の記録]からの引用だが、南の強硬派ぶりが非常によくうかがわれる。
 中でも最も興味深いのは、昭和十八年すなわち一九四三年の中ごろにカウラ収容所に入所した川崎賢一氏に対し、コンパウンド内の事務所で、南が『再び立つこともあるから、それまで体力の回復を図ってほしい』と、一斉蜂起の計画をほのめかしていることだ。」