●「続・知られざる日豪関係」(289)
〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
「思ったよりも少ない戦死者数だが、これが『飛龍』がミッドウェイで沈没するまでの、戦死者のすべてとは思えない。
おそらくは緒戦当時のものだけかもしれない。
右の戦死者名簿で、清村二飛曹と清水二飛曹、外山二飛曹と村山一飛は、それぞれ二座式の艦爆の搭乗であるから、豊島一飛の零式艦戦は飛龍飛行機隊中、五番目の被害機であり、かれは七番目の戦死者ということになる。
さらに、戦死者名簿の豊島一の欄には、次のように記してあった。
・戦死年月日─昭和十七年二月十九日
・参加作戦─ポートダーウィン空襲
・機種─零式艦戦
・等級─ 一飛
・氏名─豊島一
・生年月日─大正九年三月二十日
・練習生期別卒業年月日─七期飛練操 昭和十六年七月十六日
・兵籍番号─佐志飛三一九九
・原籍─香川県三豊郡勝間村・・・・・・(以下略)
・遺族─戸主 兄徳繁、母コマツ」