●「続・知られざる日豪関係」(290)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「この戦死名簿の記述は、南忠男の捕虜名簿や供述書と、半分符合し半分はまったく違っている。
 まず南忠男は飛行兵【曹】、つまり下士官だが、豊島一は一等飛行【兵】である。
 次に生年月日の大正九年は、西暦の一九二〇年だが、捕虜名簿にある南の生年月日は、一九一九年と書かれていた。
 しかし三月二十日という誕生日は一致している。
 もし南と豊島が同一人物であるとするならば、誕生日を偽装していないことからみて、『一九一九年』という数字は、故意に一年ずらしたのではなく、元号を西暦に直す際に数え間違えたからではないだろうか。
 原籍である住所も違う。
 南は神奈川県の追浜町出身となっている。
『かがわ』と『かながわ』は語呂合わせのようでもあるが、追浜には海軍の航空隊があったことから、南はその住所をいったのではないだろうか。」