●「続・知られざる日豪関係」(292)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
  

「萬代氏は豊島の軍歴からして、おそらくは志願兵だろうといといっていたが、それにしても晴れて海軍に志願入団し、胸ふくらませて練習したラッパが、その六年後には自らの幕を閉じるための突撃ラッパになったとしたら、あまりにも皮肉な話である。
 略歴の一番最後には、『戦闘ノ情況』と題して、豊島一の最期が、かなり詳しく書かれていた。
 字数にして六百字程度の、カタカナ混りの軍隊調の文である。
 そしてこれを一読したとき、私は豊島一が南忠男であることにほとんど間違いない、と確信することができた。
 
『戦闘ノ情況』
 昭和十七年二月十九日 『ポートダーウィン』攻撃ヲ決行セラルヽヤ飛龍戦斗機隊第一小隊(指揮官兼小隊長海軍大尉熊野澄夫)ノ三番機操縦員トシテ零式艦上戦斗機一二四号に搭乗〇六三〇発艦指揮官機ニ従ヒ旗艦上空ヲ発進飛行機体ハ〇六八〇五『バザ(ママ)ースト』島『ガンビール』岬対岸飛行場ニ於テDC三型大型輸送機一機ヲ発見銃撃大破後〇八一五『ポートダーウィン』東飛行場上空ニ突入離陸中ノPー40型戦斗機一機ヲ発見撃墜セリ。」