●「続・知られざる日豪関係」(433)

 〜 カウラ事件とは? 〜


 脱走


 1944年8月5日(午前2時過ぎ程からの深夜帯)、日本兵1104名は集団脱走を決行した。
 脱走時、携帯する事の出来た武器と言ったものは身近にあるフォーク・ナイフなどの金属製品、野球バットといったものに過ぎず、機関銃が配備されたオーストラリア警備兵に対抗は出来る状態では無かった。
 オーストラリアの歴史家 Gavin Long (1901 - 1968年)による言及:
"午前2時頃、一人の日本人がキャンプの門へ走り、警備に叫んだ後、ラッパを吹いた。
  これに対して警備兵は警告射撃を行った。
 続いて”バンザイ”を叫びながら、毛布をかぶり網を通り抜けようとした3人の日本人(夫々が北・西・南側で行動)に発砲した。
  日本人捕虜は、ナイフ、フォーク、釘やフックを打ち込んだ野球バットなどで武装していた"