●「続・知られざる日豪関係」(443)

 〜 カウラ事件とは? 〜  


「カウラ事件のその後」


 5日午前1時50分(日本時間同零時50分)には脱走開始時間を告げるサイレン。
 同日午前には日本人戦没者墓地で「和解の礼拝」などが行われる。
 元捕虜は高原さんと鳥取県日南町の山田雅美さん(85)、鳥取市の村上輝夫さん(83)。
 山田さんは「私たちは一緒に死のうと、あの事件を起こした。
 231人を弔うのがわれわれの責任だ」と語った。

 戦後、オーストラリアでは反日感情が強く残っていたが、カウラの人々は草の根レベルで和解や交流に努め、79年には日本庭園を建設。
 庭園の実現に奔走したカウラ豪日協会のドン・キブラー会長(68)は「小さな田舎町で日本庭園を建設、維持できるのは素晴らしいことだ」と話している。