●「続・知られざる日豪関係」(492)

「わたしと映画・南十字星」(42)


「オーストラリアの特攻隊」の続き


 戦争まで濠洲は四個師團を持っていた。
 そのうちの一つ、第八師團はマライに派遣されていたので、開戦とともに全員日本軍の捕虜となり、國内は三個師團に減った。
 しかし青年たちは争って軍に志願した。
 その志願兵の中から、とくに志の固い者だけを選抜して作ったのがこの謀略部隊である。
 謀略部隊はS・R・Dと呼ばれることになった。
 偵察部隊 Services Reconnaisance Department の略稱である。
 部隊は約百五十名、濠洲東方の海上にあるフレンチ島が秘密の訓練基地にあてられ、この部隊の提唱者である英国陸軍のライアン中佐が指導した。