●「続・知られざる日豪関係」(645)
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より
”ステーキと卵”の続き
彼は正しかった。
まもなくそれはゼロ式水上機が運搬台の上に載せてあったのだと判明した。
ビンギチは運搬台を飛行機の車輪とまちがえたのである。
八月一日になるとダニエル・ピュールがクレメンズにルンガ平地におけるテント、売店、爆弾庫、無線局などの位置を書きこんだ詳細な地図を提出した。
塹壕や待避壕には赤鉛筆できちんと印がついていた。
地図を送る方法はなかったが、クレメンズはタウンズビルに大体の内容を伝えた。
すると折返し、無線局の正確な位置について至急回答せよとの指示が届き、クレメンズは一〇分間で何とか返事を送った。
「 ─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より
“東京急行”を撃滅せよ
彼女は三万人のアメリカ軍兵士たちの中でただ一人の女性だったから、マラリヤで弱った兵士の一人が担架の上から彼女を見上げて、「ぼくは夢を見てるんだ」とつぶやいたのも理解できよう。
彼女の活発な物腰やモジャモジャ髪のせいだろうが、新しい噂が島に拡がった。
「アメリア・イヤハート(1937年世界一周飛行の途中、太平洋で行方不明になった米女流飛行家)が生きて見つかった」というのである。
マール・ファーランドのひきおこした騒ぎにもかかわらず、ガダルカナルでの生活は海兵隊が日本の第四次大攻勢を待ち受けていた六週間前よりは、はるかに平穏なものとなっていた。
百武中将はまだ二万五〇〇〇の兵力を持っていたが、彼らの戦力はひどく弱っていた。
日本海軍の受けた損害は甚大で、とくに駆逐艦の損失は大きく、“東京急行”による救援輸送はしだいに困難になりつつあった。