あべこべの国

 

 1971年から2年あまり、オ−ストラリアに住んだ。30年以上も前のことである。
 転勤の挨拶に行ったときのおじの言葉を思い出す。
「南方に行くんだって?ご苦労なことだね」。
 戦争体験者のおじには、オ−ストラリアは「ジャングルの延長線上の国」とでも思っていたのだろう。
 帰国してからも、いろいろな方々から同じような慰めの言葉をかけられた。
 近所に住む奥さんが、「未開の地に2年も行っておられたんですか?さぞかし大変だったでしょうね」と言われたときには、一瞬どう答えていいか迷った。
 当時のテレビのコマーシャルには、土煙を上げながら赤い大地を走り回る大型のダンプカ−と、ぴょんぴょん飛び回るカンガル−の姿が写し出されていた。
  オ−ストラリアへの転勤を知って、「音楽を聴くのが楽しみだわ」とおっしゃった奥様がいたとかいなかったとか・・・。
 「オ−ストラリアに行っていた」と話すと、「ヨ−ロッパは良かったでしょう」と答える方も何人かおられた。
 オ−ストラリアについては、この程度しか知られていなかったころのことである。
 ある意味では「古き良き時代」。日本人だけでなく、オ−ストラリアの人々もまた、お互いの国のことを良く知らなかった。
 なお、これから紹介する数字や生活様式などは当時のものである。