かって四つの国歌を合唱した人々 

 


オ−ストラリアに住んで最初に戸惑ったのは、人口密度の低さでも、鮮やかな空の青さや恐怖を感じるほど多い星の数でもなかった。それは、人々の「のんびりとした生活ぶり」だった。
 
 複数の国歌をもつ国は決して珍しくないが、ある時期オ−ストラリアには国歌が四つあった。
 1972年12月の総選挙で、オ−ストラリアでは、それまでの自由党と地方党の連立内閣に代わって、23年ぶりに労働党内閣が誕生した。イギリスのEC加盟などで“イギリス離れ”が進んでいたことも反映してか、労働党内閣は、「現在の国歌は、独立国オ−ストラリアにふさわしくない」として、建国以来の国歌であった「ゴッド・セイブ・ザ・クイ−ン」に代わる国歌を決める国民投票を行った。そして「アドバンス・オ−ストラリア・フェア」が新しい国歌に決まった。
 ところが、75年12月、政権に返り咲いた自由党と地方党連立内閣は、イギリス王室のオ−ストラリア訪問のときは「ゴッド・セイブ−−」を必ず演奏し、それ以外は、労働党内閣時代の国歌「アドバンス・オ−ストラリア・フェア」と、国歌制定のための国民投票を行った際候補に上がっていた「ワルツイング・マチルダ」、「ソング・オブ・オ−ストラリア」の三つを、いずれも国歌として使ってよいと決めたのである。つまり四つの歌が国歌として認められたことになる。
 1976年、モントリオ−ル・オリンピックが開催されたとき、私はそれぞれの競技が決勝に進むたびに、そわそわと落ち着きのない状態に陥った。「もしオ−ストラリアの選手が優勝したら、四つのうちのどの国歌が流されるのだろうか」。
 ついに、いたたまれなくなりオ−ストラリアの関係筋に電話した。
 「ワルツイング・マチルダですよ。でも、どうしてそんなことお尋ねになるんですか。どの国歌が流れてもかまわないと思いますけれど・・・」。
 国歌が四つ存在する状態は、再び国民投票が行われ、前回同様「アドバンス・−−」が第一位に選ばれる77年5月まで続くことになる。(このアドバンス・−−」が正式に国歌となったのは、’84年4月11日。投票結果を無視して「ゴッド・−−」にこだわり続けた前政権に代わるホ−ク労働党内閣が閣議決定した)。