お喋り大好き  

 

 
 私が住んでいたフラットに、週に一度掃除に来るおばさんがいた。
彼女が来るとすぐ分かる。フラットの住人をつかまえては大声で話しかけるからだ。
 たとえ掃除の最中でも、誰かと顔を合わせると仕事の手を休めて話し込む。そして、かんじんの掃除を忘れてお喋りに夢中になり、一定の時間が来るとさっさと帰ってしまう。
 だから、本来ならきれいになっているはずの階段や駐車場が、汚れたまま放っておかれてしまう。
 でも、フラットの人たちが、彼女の悪口を言うのを聞いたことはなかった。
 人口が少なく、「労働者不足」という事情があるからかもしれない。
 このおばさんに限らず、銀行の出納係やス−パ−のレジ、路面電車(トラム)の車掌さんなど、仕事中でも平気でお喋りをする。
 銀行の窓口などで順番を待つ人にとっては、「迷惑この上ない」と思うのだが、お客の方はまったく気にする様子がない。こちらの方はこちらの方で、適当な話し相手を見つけてはお喋りに興じる。(初めのうちはイライラした。銀行に口座を開くのが「一日がかり」というのにはあきれてしまった。だが、不思議なもので、何回か“お喋り”にお付き合いしているうちに、すっかり慣れてしまった。日本人の私が、一人でこの国の習慣を変えることなどとても不可能だと悟ったから・・・。
 いつの間にか、「待つこと」が少しも苦にならなくなっていた。
 何とも、のんびりしたお国ぶりである。
 「世界一話し好きな国民と言われるだけのことはある」と、ただただ感心?した。
 日本の二十倍以上という広い面積を持つ土地に、わずか1、550万人しか住んでいないオ−ストラリア。オ−ストラリア人のこのおおらかさは、国土の広さとまったく無関係ではあるまい。
  オ−ストラリアを、単なる「資源供給国」としか考えていない日本。
 一方、「日本学の博士号」を持つ人が30人以上もいるオ−ストラリア。
 日本人とオ−ストラリア人の相違のすべてを、国土の広さの違いだけに求めるのは、必ずしも現実的ではないと思えるのだが・・・。 

 (注)ここで、思い出したことを一つ・・・。
「お喋り好きは、オ−ストラリア人の専売特許ではない」ということだ。
 転勤で、金沢市郊外のN町役場に住民登録の手続きに行ったとき、地元のおばあさんと町役場の職員とが世間話に花を咲かせていた。二人の会話は延々と続き、長時間待たされた。
 そのとき、「一日に一箇所でしか手続きできないのは、日本でも同じなんだな」と、妙に納得したことを、今でも鮮明に覚えている。
 ちなみに、オーストラリアでは万事がこの町役場と同じで、一日で、電気やガス、水道、銀行、お役所などの手続きを済ませようと思ったら大間違い。
 「一日に一箇所ずつ」がやっとだった。