「パブ」の続き

 


 オ−ストラリアのパブは、イギリスとは違って独特の発展をしてきたようだ。
 建築学的にみても興味深い。オ−ストラリアでは、時代の最先端を行く建物はパブだった。メルボルンの郊外にある金鉱で有名なバララットの町には、ゴ−ルドラッシュ華やかなりしころ、四階建ての豪華なパブが出現して当時の人々のどぎもを抜いたという。
 パブと言えば、「汗まみれの格好でも気軽に入れるところ」だが、以前は少し違っていたようだ。オ−ストラリアで初めて演劇が上演されたのも、最初の新聞が発行されたのも、実はパブだった。オ−ストラリアで1番初めに開店した銀行はパブの2階を使ったものだったし、美術館として活用された時代もあった。このほか、メルボルンの図書館の第1号は、パブの中に作られている。
 そればかりか、政治活動や労働(組合)運動、宗教活動なども、パブの中で生まれた。
 植民地時代に、石炭や小麦、木材などの取り引きが行われたのもパブだったという。
 そもそもこのパブは、ニュ−・サウス・ウエルズ州がまだイギリスの植民地だったころ、州都のシドニ−で、誰かがたまたまラム酒を売ったのがきっかけで誕生したものだ。
 いずれにしても、アルコ−ル抜きでオ−ストラリアを語ることはできない。ということは、同時にまた「パブ抜きでオ−ストラリアを語れない」ことになる。
 パブは、日本のサラリ−マンが「ちょっと、お茶でも・・・。」と、気軽に立ち寄る喫茶店のようなものだ。アルコ−ル以外の飲み物もあるし、食事をすることもできる。レストランの半分ぐらいの値段で食べられるので、パブで昼食を取るサラリ−マンも多い。
 夕方になると、「一杯引っかけて帰ろうか」と、サラリ−マンが殺到する。
 言ってみれば、喫茶店に行くような気分で行けるレストランであり、“縄のれん”でもあるのだ。
 ただし、この国の縄のれんの「すさまじさ」には圧倒される。