「パブと女性」の続き

 


 現在では女性も気軽に入れるパブだが、以前はそうではなかった。これには、“聞くも涙、語るも涙”の物語りがある。
 この国の男性たちは、オ−ストラリアン・ハズバンド、つまり「女性に頭が上がらないこと」で知られている。どういう訳か、オ−ストラリアでは女性の方が男性よりも“大きく”見える。男性がからっきし弱いせいかどうかは分からない。そういうオ−ストラリアで、その“大きな存在である女性”を、おそれおおくも「閉め出す」ところがあった。それが、この「パブ」だった。パブは、男性にとって女性から解放されることのできる「最後のとりで」だったのだろう。
 男だけしか入れないようにしたのは、男に生まれたことを喜ぶ唯一の場にしたかりではない。常に女性に頭をおさえられているこの国の男性たちにとって、パブは「生きる勇気と希望を与えてくれるところ」だった?だからこそ、ここから芸術が生まれ、ここで新聞が発行され、政治が論じられたのだろう(と勝手に推測する)。
 ところが、この男性陣最後のとりでも、ついに“ウ−マン・リブの闘士たち”によって陥落させられることになる。彼女たちは、“パブの門戸開放”を叫んで世論に訴え、実力行使を繰り返した。勇敢にもパブの内部に攻め入り、鎖で自分の体を建物の柱に縛り付け、追い出されるのを拒んだ女性もいたという。
 かくして、パブは女性にも開放されることになった。男性軍の完敗である。そればかりではない。1970年の11月、シドニ−では歴史的な事件が起きた。