「ク−ルチェンジ」の続き

 


 ● 「ク−ルチェンジ」の続き

 オ−ストラリア大陸は、北部の三分の一が熱帯に属している。だから、この地方は一年中暑い。日本の夏の服装でも平気だ。
 だが、オ−ストラリアは大きな陸地だ。最も暑い月の平均気温は、シドニ−では22度余りで湿度72%、メルボルンは20度、湿度は64%だった。
 私の住んでいたメルボルンは、雨の日が多かった。「弁当を忘れても傘を忘れるな。」と言われる日本の北陸や山陰地方の天気を、よく思い出していた。まさに「何とか心とメルボルンの空」なのだ。だから、久しぶりに「おてんとうさま」を見ると、人々の表情は急に晴れやかになる。いや、「明日は晴れるでしょう」というお天気キャスタ−の言葉を聞いた瞬間から、人々の顔は明るくなるのだ。特に、週末ともなると、なおさらである。
 太陽が出るかどうかによって、人々の行動は左右される。冬でも、よく晴れて風さえなければ、海でサ−フィンを楽しむ若者やヨット遊びをする人々の姿が見られる。
 だから、一日に四季はあっても、一年を通じて春夏秋冬の訪れを見分けるのは難しい。
 湿度の低いメルボルンでの生活は、快適そのものだった。日本人が最も快く感じる湿度は60%というから、気温の高い真夏でも苦にならない。
 メルボルンでの生活で、“かびにお目にかかることはまったくなかった。この国でビ−ルが格別おいしく感じられたのも、あるいはこの乾燥した気候のせいかもしれない。

(注) 思い出したこと
 真夏には、摂氏40度を超える日もあった。だが、ク−ラ−を使う家庭はほとんどなかった。緑が豊かなことと天井の高い建物が多かったため、いったん風を通すと室内の気温はあっという間に下がる。「暑くて眠れない夜」や、東京のヒ−トアイランド現象のような「不快な夏」に出合ったこともなかった。(25年間に渡って東京の夏の気温を観測しておられる東北大学の齋藤武雄教授のシミュレ−ションによれば、「2030年には、夕方の5〜6時になっても、気温が42〜43度のまま下がらなくなるだろう」という。日本の夏のヒ−トアイランド化は、ますます進んでしまうのだろうか?)。
 当時のオ−ストラりでは、40度を超える日中でも、日陰に入るとさっと汗が引いた。かんかん照りの天気でも、「暑くてたまらなかった」ことはない。
 一方で、冬は暖房のお世話にはなった。部屋に備え付けられていた「電気による暖房」だ。南極からの風が吹きすさぶ日でも、「寒くて震えた」経験もない。