オ−ストラリアン・ハズバンド

 

 「家事や育児など家庭内にかかわる仕事のすべてを手際よくこなし、それでいて、なぜか女房に頭の上がらない男ども・・・」(私の独断と偏見?)。
 オ−ストラリアン・ハズバンドの存在は、世界中に広く知られている。
 私が実際に出会った「オ−ストラリアン・ハズバンドの素顔」を紹介する。
 オ−ストラリア人の友人のほとんどは、工作室と物置きとを兼ねたガレ−ジを自分の手で作っていた。中古の家を安く手に入れ、自分一人でコツコツと「みごとな別荘」に改装した友人もいる。庭にバ−ベキュ−用の炉やごみの焼却炉を作ることなど朝飯前の仕事だ。中には、器用にもビ−ルまで作る友人もいたが、味の方は「?」だった。
 バ−ベキュ−にかけては、「オレの右に出る者はいない」と豪語する友人もいた。とにかく、この国の亭主どもは信じられないほど「まめ」に働く。
 私は幸い2年余りでこの生活から解放されたが、「365日×結婚年数」を考えれば、「この地獄?によく耐えている」と、ただただ敬意を払うばかり・・・。
 だが、この国の友人たちと付き合ううちに、いつの間にか彼らの生活ぶりに違和感を抱かなくなっていた。慣れとは恐ろしいものだ。それどころか、私自身のオ−ストラリアン・ハズバンド化も日ごとに進み、ついには友人たちを見習って、自分専用のエプロンまで買い求めた。
“日本男児にあるまじき行為”だが、ホ−ム・パ−ティ−が「お開き」になったあと、男の客全員がその家の主人を手伝って後片づけ(皿洗いなど)をしているのに、私一人だけがご婦人方と飲み続ける訳にはいかなかった。ご婦人たちの宴会は、この後も盛大に続き、男どもの用意した“アガリの紅茶”をいただいてやっと閉会となる。
 楽しそうに喋りまくり飲み続けるのは、あくまでも「女性たち」なのだ。(月に一度、朗読奉仕に行っている老人ホ−ムの皆さんにこのお話しをしたら、ほとんどの方が「とても信じられない」という反応を示された。中には「今度生まれるときには、オ−ストラリにしようかしら」とお答えになった方も何人かおられた)。
 初めてこの国のホ−ム・パ−ティに出席したときは、「がく然」とした。「こんな世界が本当にあるのか、夢でも見ているのでは?」・・・。