「豪に入っては豪に従う」の続き

 

私は大いに焦って、思いつくままにこう言った。
「いつか、あなたが日本に来られる機会があるかもしれません。でも、あなたは日本の習慣に従う必要などありません。あなたのご主人に荷物を全部持たせて手ぶらで歩いておられても「オ−ストラリアの女性は野蛮だ」などと思う日本人は一人もいないでしょうから・・・。でも、「オ−ストラリアはカカア天下の国だ」と考える人はいるかもしれませんよ。とにかく、いろいろと教えていただいてありがとうございました」 
 実は、この段階では、おばあさんが話したことの真意は分かっていなかった。だから、およそ感謝の気持ちとはかけ離れた、とっさに浮かんだ言葉をただ並べたにすぎない。
「ホホホホホ・・・。どういたしまして。では、さようなら。またお会いしましょうね」。 彼女の言葉の途中で、私は女房の手からショッピング−カ−を奪っていた。おばあさんは、そんな私に満足したかのようににっこりと笑って、悠然とその場を去って行った。
 人生30?年、こんなにみじめな気持ちを味わったのは初めてだ。道で人々とすれ違うたびに、私の背中は丸くなり、気恥ずかしさで「穴があったら入りたい」心境になっていた。
 かくして、私は亭主関白の座から一気に滑り落ちることになった。
 家に帰ってシャワ−を浴びながら、おばあさんの言葉をふと思い返したとき、とうに流れ尽きていたはずの汗が、今度は冷や汗となって吹き出しているのに気づいた。
「あなたのふるまいが、たとえあなた個人のものであっても、日本人全部が同じことをするものと受け取られる恐れのあることを忘れてはならない」と言われたことだ。この意味が、このときになってやっと理解できたのだ。
 仮に、私が「この国の常識に反すること」をしたら、オ−ストラリアに住んでいる大勢の日本人が、いや、場合によっては日本人全体が“非常識なことをする国民”と見なされてしまうのだ。それが、たった一人の日本人の愚行にすぎなくても・・・。
「本当にありがとうございました」。もう一度、このおばあさんに心の底からお礼を言おうと、ずっと彼女の姿を求め続けたのだが、残念ながら再会することはかなわなかった。
 あるいは、今日もメルボルンのどこかの街角で、行きずりの日本人をつかまえて、あの流暢なキングズ・イングリッシュで「あなたは男性ですか?」と、問いかけているのかもしれない。