「夕霧の丘」のさらに続き

 

「オ−ストラリアン・ハズバンドというのは、自分の家族だけでなく、他人の家族の面倒もみなければならない」のか?。「オ−ストラリアン・ハズバンドは、いつ、いかなる場合でもオ−ストラリアン・ハズバンドであり続けなければならない」ということか!。
 私は、改めて自分自身のことを振り返ってみた。オ−ストラリアの友人たちの影響を受けて、この国の平均的亭主族と同じように振る舞って来たつもりだ。それも“清水の舞台”から飛び降りるような一大決心をしたあげくのことだ。やはり、私は正真正銘の日本人であると自覚した。オ−ストラリアン・ハズバンドを装っていたにすぎなかったのだ。
 別荘を訪問した際、「二日酔いで体がきついから、女房に荷物を持たせよう」と考えた瞬間から、私は“日本人”に戻ってしまっていた。二日酔いの頭の中で、突如「日本モ−ド」に切り替わったのだろう。
 それにしても、オ−ストラリアン・ハズバンドとは、「なんと厳しく、しんどいものか」と、つくづく思う。
「世界一休日の多いこの国では、何かやっていないと退屈して困るから」。たしかに、そういう見方もあるだろう。ヨットやボ−トを作るのは、楽しいに違いない。だが、いくら譲歩したところで、家中のペンキ塗りや皿洗いが楽しいはずはないと思うのだが・・・。
 私が出席したあるパ−ティ−の席で聞いた“亭主族の告白”を紹介すれば、オ−ストラリアン・ハズバンたちの本音、少なくとも「その手前ぐらい」は分かっていただけるかもしれない。
 (注) 思い出したこと。
 私の妻は、典型的な「日本人女性」として育った。だから、パ−ティ−のときなど、オ−ストラリアの女性たちのように、「後片づけもしないで飲み続けること」には抵抗を感じ、むしろ苦痛だったようだ。何度も台所で活躍している亭主たちの「お手伝いをしよう」と試みたが、その都度追い返されてしまったという。
「みんなと一緒に、あちらの席で飲んでいてください。ここは、私たち男どもの“聖域”ですから」と・・・。