「ある日の公園で・・・」の続きの続き

母親が活字から目を離したのは、ほんの一瞬だけ。泣きじゃくるわが子をチラッと見た。そして、おもむろにタバコの灰を落として、何事もなかったかのように再び新聞を読み始めた。子どものところにすっとんできたのは、父親だった。わが子を抱き上げ「よしよし」と、あやし始めたのである。ついに私のガマンも限界に達した?
「あのヤロ−、ふざけたやつだ」思わず、口に出た言葉だ。ここでの“ヤロ−”が母親を指しているのは言うまでもない。他人事ながら、私はすっかり腹を立てていた。「カカアもカカアなら、テイシュもテイシュだ。ダラシなさ過ぎる」こう怒鳴りたい気持ちになった。
 あまりにもひどい!「こりゃ、ウ−マン・リブならぬ、メン・リブ運動を立ち上げなければ・・・」「立て!弱きオ−ストラリアの亭主どもよ!今こそ、女房たちと闘え!」
 これは、同時代に同じ惑星に住むオトコとして、彼らに呼びかける悲痛な叫びだ!
 ふと目をやった新聞に、こんな記事が載っていた。「若い母親が、深夜フラット(アパ−ト)の駐車場で暴漢に襲われた。だが、彼女はそばにあった空き瓶をつかんで暴漢の頭を一撃。暴漢は驚いて退散した」・・・。
 5歳の子どもとともに、勇ましい母親の顔写真が掲載されていた。私の振り上げたコブシは行き場を失い、宙をさまよった。ああ、恐ろしきこの国の女ども、いや「ご婦人方サマ」は・・・。

(注) 思い出したこと
 ボランティアで地元の小・中学校のお手伝いをしているが、先生方から「最近の若い保護者(父母)はずいぶん変わってきた」という話を何度も聞かされた。それも、共働きが増えたせいばかりではなさそうだ。専業主婦の場合でも、「家事や子育てなどを亭主がそれ相応に分担しないと、離婚に至るケ−スも多い」とのこと。
 そのうちに、「ジャパニ−ズ・ハズバンド」が、「ノ−キョウ」や「ツナミ」と同じように「世界に通じる言葉」になる日が来るかも?