ジョ−ク  

 オ−ストラリア人は、ユ−モア好きの国民だ。いつ、どこででも、人が集まるところではお喋りが聞かれ、笑いがあふれている。険しい目つきをした人をこの国で見つけるのは難しい。生まれついての楽天家ぞろいなのか、あるいは与えられた人生・限られた人生を精一杯楽しく生きようとする人たちばかりなのであろうか。
 暦の上では秋になったというのに、このところ厳しい残暑が続いている。
 昔、オ−ストラリアで見かけた新聞のこんな記事は、暑さしのぎの参考にはならない?
「昨夜も、一晩中暑くて寝苦しかった。もし今夜も暑くて寝つけなかったら、モスクワの人々のことを思い浮かべるとよい。モスクワの昨日の最低気温は、氷点下15度であった」。
 メルボルンでの最高気温が39度を記録した1973年1月19日、地元の新聞はその第一面にこんな記事を載せた。この日まで、メルボルンでは真夏の厳しい暑さが数日間も続いていた。(ク−ラ−のお世話になっている私たち日本人には、こんな記事を読んでも「涼しくなる」とはとても思えないのだが・・・)。

(注) 思い出したこと
 今年の5月末から、日本では政府関係者を中心に、冷房の温度を28度に上げて地球の温暖化を防ぐための「ク−ルビズ」が、実施されるようになった。テレビなどで政治家たちの姿を拝見していると、「ノ−ネクタイの単なるだらしのない服装」に見えてしまう。
 オ−ストラリアでは、30年以上も前から、ク−ルビズ(そういう呼び名はなかったが)が当たり前になっていた。この国の紳士たちの夏の正装は、セミ・スリ−ブのワイシャツにネクタイ、下は白の半ズボンに白のハイソックスという「いでたち」であった。
 この装いの方がずっとスマ−トだと思われるのだが・・・。

(お願い)
 下記の日記を、7月15日の次に追加(訂正)してください。

  女人禁制だったパブ

 現在では女性も気軽に入れるパブだが、以前はそうではなかった。これには、“聞くも涙、語るも涙”の物語がある。
 この国の男性たちは、オ−ストラリアン・ハズバンド、つまり「女性に頭が上がらないこと」で知られている。どういう訳か、オ−ストラリアでは女性の方が男性よりも“大きく”見える。男性がからっきし弱いせいかどうかは分からない。そういうオ−ストラリアで、その“大きな存在である女性”を、おそれおおくも「閉め出す」ところがあった。それが、この「パブ」だった。パブは、男性にとって女性から解放されることのできる「最後のとりで」だったのだ。
 男だけしか入れないようにしたのは、男に生まれたことを喜び、明日への希望を見い出すための唯一の場にしたかったのかもしれない。常に女性に頭をおさえられているこの国の男性たちにとって、パブは唯一「生きる勇気を与えてくれるところ」だった?だからこそ、ここから芸術が生まれ、ここで新聞が発行され、政治が論じられたのだろう(と勝手に推測する)。
 ところが、この男性の最後のとりでも、ついに“ウ−マン・リブの闘士たち”によって落城させられることになる。彼女たちは、“パブの門戸開放”を叫んで世論に訴え、実力行使を繰り返した。勇敢にもパブの内部に攻め入り、鎖で自分の体を建物の柱に縛り付けて、追い出されるのを拒んだ女性もいたという。
 かくして、パブは女性にも開放されることになった。男性軍の完敗である。そればかりではない。1970年の11月、シドニ−では歴史的な事件が起きた。