サ−ビス精神

 オ−ストラリア人が、いつも「ジョ−クを言い合っている」のを見ていると、私は彼らの中に“ゆとり”があるからだと感じない訳にはいかなかった。
「ジョ−クを言って、みんなを笑わせてやろう」と思いつくのも、精神的にゆとりがあるからだろう。つまり、「他人のことを考え、楽しませよう」という心のゆとりだ。自分のことだけしか考えられない人間に、ジョ−クを期待するのはとても無理だ。
 ジョ−クを言ってみんなを笑わせようとするのは、言ってみれば、ある種のサ−ビス精神があるからだろう。そのサ−ビス精神は、「他人のことも考えられる余裕」から生まれてくる。心のゆとりがサ−ビス精神を生み、それが笑いの欲しい場合にはジョ−クとなって出てくるのだ。 
 このサ−ビス精神は、ここかしこで、さまざまな形となって現れている。
 オフィスでは、仕事の途中でも退社時間がくれば、机の上の書類やペンなど一切片づけることなくさっさと帰る「ドライな一面もある」彼らだが、いざ必要となれば、徹底的にさ−ビス精神を発揮する。彼らには「精神的な豊かさ」があるから?単なる「国民性の違い」?