サ−ビスへの気遣い(8)

 時間を意識する彼に気づかなかったのは、私の“鈍さ”のせいかもしれない。午前零時の時報を流すことは、大晦日のパ−ティ−のハイライトだったのだ。
 私が彼の立場だったら、一滴のお酒も飲むことなく、腕時計とにらめっこしていたに違いない。
 ところで、メルボルンの目抜き通りにある商店街が、洪水の被害を受けたとがあった。いわゆる集中豪雨に見舞われて、昔は海底だったという低地の店鋪などは、浸水したところも多かった。
 翌日、地元の新聞に、潜水服を着たスポ−ツ店の店員が水につかった商品を片付けている写真が載った。この写真を目にしたとき、「何てオ−バ−な!」と思った。
 しかし、考えてみれば、当の店員も写真を撮ったカメラ・マンも、「後片づけのために潜水服が必要だ」などとは初めから思っていなかったはずだ。言ってみれば、「ユ−モアの延長線上」、あるいは「一種のサ−ビス精神」と、とらえるべきだろう。
 こんな例は、いくらでもある。潜水服を着る方も、その写真を撮る方も、ハナから十分に心得てやっている「確信犯」と考えた方が分りやすい。