「死者と生者」さらに続き

 

 この経験を通じて、オ−ストラリアという国が、「ヨ−ロッパの延長線上にあること」を改めて実感した。
 帰国後も、同じような出来事があった。
 1974年4月22日の夜、パン・アメリカン航空のボ−イング707型機が、バリ島のデンパサ−ル空港近くの山中に墜落した。実は、この事故の犠牲者の中に、16人のオ−ストラリア人が含まれていた。
 事故発生後4日経った4月26日、NHKの特派員は現地から、「バリ島に来ている犠牲者の家族は、日本人のほかは香港の中国人の一家族だけで、アメリカ人やオ−ストラリア人の遺族の姿はない」と、伝えていた。
 そのころ、オ−ストラリアでは、事故を起こしたパン・アメリカン航空と遺族との間で、補償金を巡る交渉が始まっていた・・・。