白豪主義(1)

 

 (感謝! ’06年3月29日に「アクセス・カウンタ−」を設けたところ、一日当たり、30〜60人の方が、私のブログを読んでくださっていることが分かりました。
 これからは、「アルコ−ルの話題」から離れて、1970年代当初のオ−ストラリアの“白豪主義”など、“まじめな問題”について、振り返ってみたいと思います)。
 1971年6月21日、オ−ストラリア労働党の政策決定の最高機関である連邦党大会が、タスマニア州のロ−ンセストンで開かれた。
 このとき、「将来、オ−ストラリアに労働党内閣が誕生したら、人種や皮膚の色、国籍などによる差別はまったくしない」という“移民政策”が決議された。
 その労働党は、1972年12月、実に23年ぶりに政権の座に返り咲き、翌73年には、「移民法」の改正に着手した。